2023年best_animation_JP決定戦

「たぶん面倒になっていずれ書かなくなるやつ」をご覧のみなさんこんばんは、best_tubuko_JPです。

もう新アニメも始まっている今日この頃、いかがお過ごしでしょうか。

 

今年(書いているうちに今年ではなくなってしまいました)はちゃんとアニメ個別の記事も書いたしやらなくてよくない?と思ったけどまとめることで24年に進める気がしたのでやりましょう。

今回も便宜上順位をつけましたが、それは俺の好みであり作品の良し悪しではありません。

面倒な余談もなしで今年は簡素にベスト10だけいくわよ~!

 

※これは単純な好みとして、2期以降のものは選出しないがちです。あと俺はラブコメが好きっぽいです。

 

 

 

第10位 「好きな子がめがねを忘れた」(23年夏)

ブコメっていうのは8割くらい主人公の好感度に左右されると思っていて、だって俺がそいつのこと気に食わなかったらそいつを好きなヒロインだってくだらなく見えちゃうわけじゃないですか。

その点小村くんは本当に善良で、もちろんめがねを家に持って帰った挙句そこに本人がいるかのように扱うキモさはあるんだけど、でも好きな女の子の前では男ってみんなキモくなっちゃうもんですからね。

女性声優のお渡し会とか後ろから見たら全員田んぼで見たら死ぬタイプの動きしてるし。(なんでも女性声優くん)

シチュエーション先行に見せかけてちゃんと地に足のついたところもあって、いくら三重さんがアレでも毎日忘れてるわけではないからまあまあの速度で作中の時間を流れていくし、中学生くらいだと女の子のほうがませているので攻めに転じるのも早い、みたいなそういうバランスが好ましい作品でした。

 

 

第9位 「君のことが大大大大大好きな100人の彼女」(23年秋)

ブコメっていうのは8割くらい主人公の好感度に左右されると思っていて、だって俺がそいつのこと気に食わなかったらそいつを好きなヒロインだってくだらなく見えちゃうわけじゃないですか。

その点愛城恋太郎は……このくだりもういいよな?

出オチみたいな設定とテンポのいいギャグが持ち味ではあるんだけど、やっぱりラブコメとしてやっていくにはヒロインがかわいいというのは必須なわけで、100人も持つのかは心配だけどアニメ化範囲内での6人はみんなかわいく描けていてえらかったねえ。

最近のメタって1対1だと思うんだけどハーレムものってやっぱり故郷の味を感じるものでもあって、「俺って好本さんのことが好きなはずなのにどうしても院田さんの魅力に逆らえない……」みたいな、”そういうアニメ”にしかない楽しみがきっちり存在していたのがうれしいアニメでした。

 

 

第8位 「陰の実力者になりたくて」(23年冬秋)

1期のタイミングが微妙だったのもあって資格なしにしようかとも思ったけど、このアニメを外して23年アニメシーンを語るのは不可能だなと思い選出。

1期のころは正直ジミナ・セーネンとかドエム・ケツハットみたいなインパクトで押しつつハンバーガーの包み紙みたいな小技も効いた(メイプルに似た服装のおっさんが出てくる)アニメだなくらいの認識でいたけど、2期での加速が尋常ではなかった。

まず分割だろうと前回の放送から期間の空いたアニメというのは話を思い出すところから始まるわけで、思い出す前に求心力を失ってしまうとそこでおしまいなんだけど、それがお姉ちゃん同伴の遠征から始まるわけじゃないですか。

お姉ちゃんが嫌いな弟なんていないので即座に前のめりになれるわけです。

その上で繰り返される「月が赤い」「暴走が始まる」「死にたくなければ逃げろ」「残された時はわずかだ」のセリフ、この作品の空気を思い出さずにはいられない。

そういった緩急のつけかたが本当にうまいアニメだったなと思います、突然8話にOVAが挟まって1期では実現しなかった全員VerのDarling in the Nightが流れたりするし。

オタクの記憶力はカスなので最終話では「1期1話と対になっていることはわかるぜ……!」くらいの解像度にはなりましたが、それでも失速することなく32話を走り切ったのはお見事。

 

 

第7位 「スパイ教室」(23年冬夏)

「誰が好きでも舐められる」というある意味平和の象徴みたいなアニメ。

「危険を意味する赤信号で満ちた瞬間が交差点では一番安全」という西尾維新の言葉を思い出さずにはいられません。

1期は序盤をギミックの説明に割いた関係かあまりしっくりきていなくて、たしかにオタクは数を数えられないけど女性声優の声は認識できるからうまく表現するのが難しいなとは思うけども。

とはいえOP映像をカットするんじゃなく自然な撮影でエルナを見切れさせて満を持して正規の映像をお出しするほうが面白かったと思うんだよな……。

2期に入ってからはスーツケースにしまわれたおじさんから始まりトンチキに磨きをかけた展開が続いていて本当に見やすかった。

エルナちゃん削り機で1話回すのは本当に意味不明だし、CM回収が流行っていた中で逆に印象的なCMを回収しない豪胆さにも恐れ入った。

最終話が日常回?だったのもオタクは当然大好き。

終わりよければすべてよしを地で行くのでこの順位だけどジビアたむがいつのまにかリリィとニコイチのアホ枠に収まっているのは許さないよ。

 

 

第6位 「お兄ちゃんはおしまい!」(23年冬)

好きなアニメの中にも言葉が自然と出てくるタイプとそうでないタイプがあって、このアニメはあんまり俺が言うべきことはないな……という感じがある。

あえて言うなら、シンプルにアニメーションのよろこびが詰まっている作品。

ともすれば僕たちは路傍に咲く一輪の萌えばかりを評価してしまうけれど、大切に育てられ適した花瓶に活けられた萌えはもはや芸術の域に足を踏み入れるのだということを思い出させてくれたね。

たしかにお兄ちゃんは造形からして既に萌えなんだけど、明らかに音や動きがつくことで萌えが際立っているところがあって、その上で萌え一本ではなく意志を持ったタッチや構図で同じ味が続かないようにしていたのが素晴らしかった。

個人としては最終話の結論にあんまり納得できなかったので円盤購入までは至らなかったけど、それを差し引いてもいいアニメだったなと思うね。

 

 

第5位 「私の百合はお仕事です!」(23年春)

ここからはもうかなり趣味の順位になっちゃうけど、まずシンプルに白木陽芽さんがガチで萌えです。

したたかなんだけど詰めが甘くてたまーに根っこの善性が自分の理性を押しのけちゃう人好きなんだよなあ。

あとOP後に流れる小倉唯さんのCMがガチで萌えすぎて順位押し上げてるみたいなところもある。

話としては陽芽と美月の話がすごく好きでこの路線で続いていたらもう少し評価が上がったかなとも思うんだけど、途中からレズ怪人が現れてすべてを破壊していきそういうオタクがワラワラしてきたのが惜しかったな~~~~~。

このツイートはあとで消えます。

でもカットによって眉毛の尖り先が変わる白木陽芽さんがガチで萌えなのでこの順位です。

 

 

第4位 「お隣の天使様にいつのまにか駄目人間にされていた件」(23年冬)

間違いなく23年のトップランナーだったね。

真昼さんが宇宙にいったから23年は宇宙をモチーフにした作品が当たったし、真昼さんがCMを回収したからおと銀侯爵邸アリスギアもCMを回収したし、真昼さんがウエハースになったからブルーアーカイブもウエハースになったしカッコウの許嫁は半額になったといっても過言ではない。

多少勢力は衰えたもののいまだに「デートの定義を考えればデートになりますよ」「明日の昼食はオムライスにビーフシチューをかけましょうね」等が部族の言葉として残っているあたり歴史に残るんじゃないだろうか。

画面は若干崩れがちだったところはあるけれど絶対に天使様(その呼び方やめてください)の顔面だけは死守するという心意気だけは伝わってきたし、なにより「オタクの妄想みたいな萌え女とほぼ同棲」「超ネタバレCM」「自信のある回の前でキャスト特番」とかいうわざとやってんじゃないかというくらいの舐め要素をすべて吹っ飛ばすくらいのカウンターを食らったのが本当に気持ちよくて……。

俺って相手の結婚式を破壊しなさそうな誠実な男の人が好きなのかも。

パッケージイベントでの2期発表の仕方が本当に小賢しくて、一回完全に〆て全員退場した後におもむろにPVを流し始めて2期決定ドン!キャストがわー!みたいな、でも俺このアニメのなんか微妙にズレてるところが本当に大好きで……。

 

 

第3位 「最強陰陽師異世界転生記」(23年冬)

本当に最終話の途中までアミュが勝つなんて脳をよぎることすらなかったのに突然「妊娠して高校退学して駆け落ちしました」みたいな展開で勝利して夜中なのに絶叫しちゃったしその勢いで円盤予約しちゃった。

イカっちも陽芽さんよろしく「したたかなんだけど詰めが甘くてたまーに根っこの善性が自分の理性を押しのけちゃう人」なわけだけど、でもこいつは絶対イーファの結婚式を破壊するだろうなという確信だけがある、破壊したんだった。

卒業式でオタクと肩を組んで号泣しながら合唱したい曲ナンバーワンであるところのリンクがEDテーマだったのも評価が高いし、ストーリーの進行に合わせて歌唱担当が増えていってそのたびに映像も変わっていくっていうひと手間を惜しまないいいアニメだったね。

単に空いていたスペースに新しい子が入るんじゃなく同じ場面だとしても位置関係が変わっていたりして、確かに人間関係ってそういうものかもって思ったり。

そのリンクの各キャラクター歌唱バージョンが収録されたTVアニメ『最強陰陽師異世界転生記』キャラクターソングミニアルバム「リンク」には17曲も収録されていてまさに最強。

めちゃくちゃ面白いってわけではないんだけど無視できないような愛嬌があって、なんかそういうセイカっちっぽいところが好きだったのかも。

いやアミュが勝ったからだわ。

 

 

第2位 「星屑テレパス」(23年秋)

TLに原作勢がワラワラいると一歩引いて見がちなんだけど、1話の時点で本腰を入れて見るに足るアニメだというのがすぐ分かってワードミュートから入ったね。

アニメにおいて(アニメじゃなくても)言葉にするのが苦手だというのはよくある話だし自分の居場所を見つけられずにここではないどこかに行きたいとぼんやり考えているというのもよくある話で、ただその二つを重ねたときに「コミュニケーションが苦手だけど自分の殻に閉じこもるわけではなくそれができる相手を探しにいこうとする前向きさがある」という推進力に変わるのは盲点というか、小ノ星さんの強さが感じられてよかったね。

逃避であっても進んでいればそれで正解なんだよな、宇宙に上下はないんだから。

オタクは当然雷門さんなのでそういう小ノ星さんのことを少しだけ眩しく思っているし、強くなったわけじゃなく最初から強いんだよなと彼氏面もしちゃうわけ。

能力でしか自分の居場所を確保できないと思っているのもよくある話だしそれができないと分かっているから自ら手放そうとするのもよくある話で、でもそういうのって例えば平手打ちのような痛みで直接(まるでお前の考え方が間違っているかのように)目を覚まさせることが多いと思うんだけど、そうではなくそうさせてしまった、気づいていたのに何もできなかった己をもって寄り添う姿勢を見せたというのもすごく好みでした。

普通とか当たり前ってなんだろう、そう考えるきっかけをもらったのかも。

それはそれとして最終話を性行為の話だけで終わらすな!!!!!!!

 

 

第1位 「ワールドダイスター」(23年春)

個別記事を書いたからここで書くことは特にありません。

気になる人はこっちの記事もチェックしてくれよな!

今オタクが気になっているのは静香さんのお誕生日がどうやら決まるらしいということです。

場合によっては殴り合いになるかもしれないね。

 

……

…………

いかがでしたか?

せっかくなので例年通り20~11位の作品もタイトルだけご紹介。

 

第20位 「おとなりに銀河」(23年春)

第19位 「転生貴族の異世界冒険録」(23年春)

第18位 「江戸前エルフ」(23年春)

第17位 「冰剣の魔術師が世界を統べる」(23年冬)

第16位 「ダークギャザリング」(23年夏秋)

第15位 「山田くんとLv999の恋をする」(23年春)

第14位 「僕の心のヤバイやつ」(23年春)

第13位 「攻略うぉんてっど!異世界救います!?」(23年秋)

第12位 「ライザのアトリエ ~常闇の女王と秘密の隠れ家~」(23年夏)

第11位 「異世界のんびり農家」(23年冬)

 

みんなのお気に入りのアニメはあったかな?

今年はなんと250作程度(ショート、視聴中含む)のアニメを見ていたらしく、マジでウケんね。(心の中のギャル)

素晴らしいアニメにたくさん出会えて大満足の一年になりました。

みなさま、2023年を戦い抜いたアニメたちに今一度盛大な拍手をお願いいたします。

 

それでは2024年もより多くのアニメと出会えることを祈りまして、2023年best_animation_JPを受賞した「ワールドダイスター」よりこちらの言葉を借りまして閉会の言葉とさせていただきます。

 

「そしたら……そしたらいつか、一緒にアニメ見ようね!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

・おまけ

……

みんなもう寝静まったかな?

それじゃあやっていくぜ「第2回best_voiceactress_JP」決定戦を……。

こっちもショートバージョンだぜ……。

 

それじゃさっそく発表します、栄えある2023年best_voiceactress_JPは……

 

best_animation_JP部門にて

第1位 「ワールドダイスター」より 鳳ここな役

第4位 「お隣の天使様にいつのまにか駄目人間にされていた件」より 椎名真昼役

Wikipediaで役を確認したらスクロールしないと全部見れなくてドン引きしたこの女(女性声優をこの女とか呼ばないほうがいいですよ)~~~~~~~~~~

 

石見舞菜香」さん

 

に決定です!おめでとうございます!

ちが……浮気とか私そんなつもりじゃなくて……

本業がアニメに出ないで歌ばっか歌ってるんだから仕方ないだろ!!!!!!!!

 

女性声優、適度にアニメに出てほしい、本当に。

 

本当におわり

”ふたり”が”二人”になる物語 ~TVアニメ「ワールドダイスター」に寄せて~

みなさん、こんばんわらじ~!

 

……。

このクソダサい挨拶は現在毎週木曜21時から超A&Gで放送されている「ワールドダイスターRADIO☆わらじ」で一部のリスナーが使っているもので、あまりのダサさにパーソナリティの長谷川さんが木野目監督に促されても絶対に言わないという逸話を持ちます。

突然そんな話をしてどうしたと思うかもしれませんが、筆者の人間性というか「ああこいつはアニメだけじゃなく声優も追っているタイプのオタクなんだ」というのがなんとなく伝わればいいかなと思いまして……。

なぜそんな半端な自己紹介をかましたのかというと、今回は前述したラジオの大元となっているTVアニメ「ワールドダイスター」の話をしたいからで、この作品はメディアミックス作品のひとつでTVアニメは2023年4月から放送されていました。

(説明不要かと思いますが、木野目監督とはこのアニメの監督を指します)

 

放送時の評価はお世辞にもいいものとは言えず、「セリフに頼りすぎ」「画をぬるぬるさせすぎ」等の声が散見されていたように思います。

制作陣も「画や演技だけでは視聴者に伝わらないと思い多めに説明を入れたが、作画班が作り上げた映像や声優の演技だけで十分説得力を持たせられていて不要だった」とどの方面にも微妙に失礼な反省をしており、減点法で見たら30点くらいしか残らないよなとも思います。

ただこういうのってそもそもそういう部分が鼻につくほど”引いて”見てしまっていることが問題だったりするんですよね。

 

そこで今回はワールドダイスターというアニメを前のめりに見て加点法で7億点を目指すぞ!という趣旨で記事を書いていきます。

お察しとは思いますがこれは「一度アニメは見たけどそんなに刺さらなかったな~」という人向けの記事であり、未視聴の場合は今すぐブラウザバックして本作を視聴してみてください。

 

……

…………

「おい、未視聴者はもう行ったってよ!」(修学旅行の夜)

さて、それでは本題に入っていきます。

本作はメディアミックスであり、いわゆる”外側”の活動も増えるんじゃないかとアニメくんと女性声優オタクの半妖(どっちも妖怪だろ)としてはウキウキしながら視聴していました。

キャラクターと女性声優の間に存在しない第三人格を生み出して双方の文脈を投影してなんとなく情緒を間借りするチャンスなので。

 

更に普段は”キャラクター”と”演者”の二層しかレイヤーが存在しないところ、演劇が題材ということで”劇中劇内のキャラクター”、”アニメ内のキャラクター”、”演者”という三層で楽しめる可能性があってお得!くらいに思っていたんですよね。

「”アラジン”を演じる”鳳ここな”を演じる”石見舞菜香さん”」を見たくないですか?

 

ところが前述のラジオでの話を聞くと、演じる際に「そうは言っても初演だし……」「そうはいっても16歳の少女だし……」という手心を加えると「本気で男性役に寄せてほしい」「キャラクターは一度忘れてほしい」という指示が飛ぶらしいということが分かります。

木野目監督のインタビューでも「オーディションから一貫して”キャラクターというものをいかに意識せずに演じられるか”を重視していた」とあり、明確な分離が図られていたようです。

 

つまり「”アラジン”を演じる”鳳ここな”を演じる”石見舞菜香さん”」ではなく「”アラジン”を演じる”石見舞菜香さん”」をお出しされていることになります。

もちろんこのままではワールドダイスターというアニメのレイヤーを噛ませている理由が一切なくなってしまいます。アラビアンナイトの朗読劇でもやっておけという話になるので……。

 

であればどうでしょう、世界の外側に存在する声優という補助線を一度消してみましょう。(最初からそうするべきですよ)

そうすると「アラジン」だけが浮き上がってきます。

ワールドダイスターというアニメが顕現させたいのは「”アラジン”を演じる”鳳ここな”」ではなく「”アラジン”その人」ということになりませんか。

「劇団シリウスの上演するアラビアンナイト」ではなく「アラビアンナイトという世界そのもの」を顕現させたいのではないでしょうか。

 

本編第九場「ワールドダイスター」にてカトリナ・グリーベルの母親であるテレーゼ・グリーベルが登場しましたが、現ワールドダイスターの彼女の演技は「セットも衣装もないのにそれが見えてしまう」という状況を引き起こしました。

第十二場「きっとふたりで」にてここながセンスを進化させたときも、演出家の工藤花が用意していない舞台セットが登場しています。

 

つまりワールドダイスターとは「観客に作品世界をリアルなものとして見せる」「視聴者もキャラクターの作り出した世界に飲み込まれる」(木野目監督言)存在なんですね。

サブタイトルにメインタイトルを冠したわりに微妙な回だと思っててすまん、めちゃ大事な回だった……。

 

であればアフレコの際の指示も頷けるし、作劇上も「”アラジン”を演じる”鳳ここな”」ではなく「アラジン=鳳ここな」として読むことができます。

例として「アラビアンナイト」を挙げましたが、本作ではほかにも「人魚姫」や「竹取物語」、「ロミオとジュリエット」や「オペラ座の怪人」といった演目が登場します。

 

今回はこれらの演目とここなたちが演じた役を読み解きながら、ワールドダイスターというアニメの魅力を知っていただけたら幸甚です。

ちなみに筆者は鳳ここなさんと静香さんの話しかできないのでその二人の話ばかりしますがよろしくお願いします。

 

本日の公演内容

 

開演のアナウンス

物語を追っていく上で重要なのは現在地を知ることです。

まずは第一場「夢見る少女」で提示された情報を整理をしておきましょう。

 

・鳳ここなの夢

「いつかなれるかなあ。”私”も、ワールドダイスターに」

・ワールドダイスターになれる人

「明日の自分を信じられる人よ」

・センスとは

”その瞳を輝かすセンスはきっと自分の胸の可能性”

この作品におけるセンスとは、漠然とした才能ではなく目に見える特殊能力を指します。
自分の可能性を信じることで発現し、その瞳に宿る光で表現されるものだと考えておけば大丈夫です。

第一場では静香の演技を見たここなの瞳が夜明けの太陽を反射する形で輝きますが、これは自らの輝きではないため本当は正しくないんですよね。

月は自ら輝くことができず太陽の光を反射しているだけというのは全オタクが知っていることですが、この時点でのここなと静香の関係もそういったものだと推測できます。

(実際はお互いがお互いのことを太陽だと思っている気がしますが……)

この辺はトゥ・オブ・アスに全部書いてあるので読んでください。

「誰にだってなれるんじゃない、あなたの輝き見つけて欲しい」ということなので……。

ともかく、静香も生まれてしまった以上は別の人格であり、それを信じることは明日の自分を信じることにはならないよねというのが今後も描かれていくことになります。

ここな自体のセンスは右目に宿っていますが、オーディションの際に光っていたのは左目のため、ここでもまだ静香の真似事をしているだけだと分かります。

本来はセンスなしとして不合格のところ、柊さんが強引にねじ込む形で合格となりました。

古代エジプトでは左目は月の象徴とされたそうですが果たして……
竹取物語のオーディションでも八恵の輝きを反射したことで負けてしまいました

以上のことを踏まえて、各演目について見ていきましょう。

 

人魚姫

配役 人魚姫:新妻八恵 王子:鳳ここな 深海の魔女:柊望有

この演目は本編でも一部のみの登場だったので軽く。

人魚姫と八恵の共通点はその声にあります。

八恵のセンスは白亜の魂といい、歌に感情を乗せ観客に響かせることができます。

元々は聖歌隊としてその歌声を存分に発揮していた八恵ですが、魔女である柊に演劇に誘われ始めた結果、強すぎる自らのセンスが原因で舞台を壊してしまう状態にありました。

ただでさえかわいい八恵さんのもっとかわいい時代

王子であるここなが助けなければいつかは声を失うことになっていたでしょう。

そうすれば王子を刺し殺すことでしか生き残る道はなかったのかもしれません。

もしくは自ら舞台の上から消えることを選ぶか……。

原典ではその二択しかありませんでしたが、そもそも王子が人魚姫を選んでさえいればハッピーエンドだよねというのをアラビアンナイトで示すことになりました。

第七場で提示された八恵と柊の最初で最後の共演作としての人魚姫でも、王子は人魚姫を選べなかったのかもしれません。

柊が板の上に残っていればあるいはここなのように別に公演で……とも思いますが……。

この公演を最後に柊さんは裏方に。

当たり前のように他演目の話を絡めてしまいましたが、鳳ここな=王子であり鳳ここな=アラジンであるなら鳳ここな=王子=アラジンが成り立つのは自明なので今後もこういった論理の飛躍が登場します。

ちなみにこのオーディションで合格したカトリナですが、「舞台装置も美術もないから唯一あるスポットライトを活かそう」という考え方は正しいのですが、ワールドダイスターを目指すのであれば平然と存在しない舞台セットを召喚するべきなのでこの時点ではまだまだ力不足といったところです。

 

竹取物語

配役 かぐや姫:カトリナ・グリーベル 操:鳳ここな 月の従者:静香

いまは昔、竹取の翁といふもの有けり。 野山にまじりて竹を取りつゝ、よろづの事に使ひけり。とかいうの、どこの小学校も暗誦させられたんでしょうか。

あまりに有名な一節で、本作第四場のサブタイトルや挿入歌「夢見月夜」の歌い出しにも採用されています。

とはいえ、我々が知っている竹取物語から大胆にアレンジされていますね。

一番目につくのは操の存在でしょうか。

アニオリで新キャラを出すと叩かれがちですが、今回のコンセプトからすると操の存在なくしてキャラに見立てることはできませんから大事な役どころです。

逆に石作皇子を筆頭にかぐやに求婚する貴公子たちは出てきません。

カトリナをかぐやとするならば、文句を言われる演出チームがそうなのかもしれません。

また帝は出てきますがエンディングから見て不死の霊薬を燃やしたりといった行動は取っていないと思われます。

また、第二場「誰かのまねごと」、第三場「初めての舞台」だけでなく、少し時間の経過した第九場で月の使者ことテレーゼが迎えに来るのも特徴です。

 

さて、公演の内容に入る前に今回示された情報を整理します。

オーディションでカトリナに敗れたここなは、柊に呼び出され自分を知るように言われます。

「自分を知らない役者が、他の誰かになれると思う?」

これはここなに向けた言葉であり、この段階では柊には静香は見えていませんが、隣で聞いていた静香の表情は隠されています。

静香自身も自分が何者なのか分かっておらず、だからこそ他の誰にもなれずにここなとは未分の存在として収まっているわけです。

静香が個として確立するためには自分自身を知る必要があります。

「自分、自分ってなんだろうね」
「簡単には見つからないから、人は自分探しの旅に出るんでしょうね」

これが結果的に第十一場へのロングパスになっています。

 

それでは公演内容に触れていきます。

かぐやは元々月の住人であり、罪人として地球に流されてきました。

カトリナにとって月(故郷)はドイツでしょう。

演劇一家に生まれ本人も才に恵まれ有名な劇団に所属していた。

ところが公演中に集中力を切らし公演を台無しにする罪を犯し地球(シリウス)に流されることとなった。

その後操(ここな)という同年代の友人と気の置けない仲になるところまでは同じですが、カトリナは故郷に帰ることをよしとせずそのまま残ることになります。

この時迎えにきたテレーゼは原典のごとく圧倒的な武力を有していましたが、操役のここなは一切怯むことなく迎えることができました。

この操という少女は原典には登場しないわけですが、その存在はかぐや姫だけでなく、それを演じるカトリナをも救うことになりました。

「もう一人じゃないから」

「ワールドダイスターには一人ではなれないもの」(後述)ですから、カトリナは「シリウスにいる理由」を獲得することになります。

シリウスにいる理由」とは本作のメインヒロインである静香の攻略に必要なキーアイテムで、これを集めないと先に進むことができません。(後述)

ただしこれだけでは片手落ちで、本人の気持ちのほかにもう一つ必要なものがありました。

役への感情です。

シリウスのお客様は、役者同士の感情がぶつかりあう本物の演技を求めています」

しかしカトリナの”完璧”な演技にはそれが足りませんでした。

静香曰く、「役作りは自分を知り、役を知り、共通点と相違点を見つけて、一歩ずつ役に近づいていくこと」だそうです。

この公演の中でカトリナは、同時に「シリウスの演技」も獲得することができました。

役との共通点、操への感謝を見つけました

でもまだ感情を隠している子がいるんじゃないでしょうか。

これは一つ後の話で取り上げられます。

「理想の自分をつくってお手本にするセンスってこと?それなら舞台に出てくる必要なんてないはずだけど」

 

次は操……と行きたいですが、実はかぐやにはもう一つ役割があります。

というのも、オーディションに向けてここなもかぐや姫を演じているんですよね。

とするとここなにもかぐやの文脈が投影されることになります。

ここなにとって月は舞台です。

センスがないと言われ見上げることしかできなかった場所。

この作品において役者は星、センスは光と称されることが多々あります。

役者たちはひと際輝く一等星になるためにしのぎを削っていて、観客は星から降り注ぐ光を一方的に観測する存在、板の上と下で断絶した世界として描かれています。

ここなは青森に引っ越すことで舞台から追放されてしまいました。(文化資本格差が憎い)

そこでは一緒に演じてくれる「共演者」も、自分の演技を見てくれる「観客」もいません。

だからその二つの役割を持つセンスを発現させました。

そうして生み出した静香(月の従者)の導きでようやく舞台に戻ることができたのです。

陸奥横浜にある二人だけの舞台も、墨田川沿いにある二人だけの舞台も、オーディションに落ちた帰り道の電車の座席上でさえいつだって静香に板の上から手を差し伸べられてきたわけです。

いつだって舞台の上から静香が手を引いてくれます


さて、勘のいい読者はお気づきでしょうが、一人で二役を演じるのはここなだけではありません。

同様に、ここなと二人一役(と本人は言っていますが……)で操を作り上げた静香にも操の文脈が乗ります。

月の従者としてここなを月に帰した静香ですが、もう一方で操として地球(舞台の外)に取り残されてしまいました。

そして月に帰ったかぐや姫は地球での出来事を忘れてしまいます。

ここなのために生み出されたセンスは与えられた役割を終えたら消えてしまいます。

今回の公演を通して、完璧なだけの演技しかできないカトリナはここなと一緒に感情と感情がぶつかる本物の演技(シリウスの舞台)をすることで居場所を得ました。

一方でここなは渇望していた内のひとつ、共演者を得ました。

このことで静香はここなの「共演者」としての役割を失ってしまいます。

代わりに二人一役の「役作り」という新たな役割も得たのですが、結果として生まれた理由の半分を失った形になります。

”人間”の感情のぶつかり合いが静香の存在意義を消していく、ここなのセンスの名前が「一人二役(ダブルロール)」というのはずいぶんと気の利いた皮肉です。

静香はまだ”一人”と呼べる存在ではないということなので。

 

さて、本公演で語られるかぐやの”夢”は「120年に一度しか咲かない竹の花を操と一緒に見たい」というものでしたが、それはあくまで手段であって、実際の目的としては「それくらい長く一緒にいられるといいね」ということでした。

結局二人は離ればなれになり、操の側から「竹の花は翌月咲いた上に月と地球の間には雲が覆って見えないけれど、それでも二人はそばにいるはずだよね」というのを描くに留まりましたが、かぐやもきっとそう思っていたんじゃないかということに異論を唱える者はいないでしょう。

かぐやと操は、カトリナとここなはたとえ離れたとしてもそばにいると信じられましたが、ここなと静香はどうなんでしょうか。

一抹の別れを予感させながら竹取物語は幕引きとなりました。

これは余談ですが、シリウスの公演はすべて離別に終わった作品の先を描く形で終わっていて、これは「世界そのものの顕現」による物語の再解釈・再構築の結果なのかなと思っています。

 

静香がかぐや性を有しているのはもう誰が見てもそうだから、いいよな?

制作陣も静香の別れをイメージさせたかったみたいなこと言ってるし……。

筆者が書かなくても勿忘唄に全部書いてあります。

書いてありますが、「恋模様に似た小さな想い」って、なに?

すいませんいつか必ず逃げずに正面からぶつかります……。

 

幕間①

新人公演を終え、ここらで一息とばかりに始まる萌え萌え第四場ですが、実は意外と大事な話をしています。

次の演目の話に移る前に一度整理しておきましょう。

 

・静香って何者?

本人曰く、「私はここなのワールドダイスターになりたいって気持ちに応えて出てきたんだと思う」とのこと。

これはすべてが嘘ではないにしても核心ではありません。

詳細は後述しますが、ここなの夢と因果関係が前後してしまうからです。

ワールドダイスターになりたいから静香が生まれたわけではなく、静香がいるからワールドダイスターになりたいんですよね。

だから「私はあくまで、あの子が舞台に立つために必要な存在だから」というのも正しくないんですが、今は目を逸らしています。

「自分を知ること」が大切なのに自分を知ろうとしていない状態にあるわけです。

「ここなの夢を応援したい、それだけなの」
センスの光は輝きません

終始和やかに、ギャグっぽく進んでいく第四場ではありますが、自分の存在をすべてここなによって規定しようとする静香にとって大事な一歩目だったように思います。

「ここなを取られたみたいでおもしろくない!」

赤ちゃんか?

それではまた次の演目を見ていきましょう。

 

アラビアンナイト

配役 アラジン:鳳ここな ランプの魔人:新妻八恵

 

もっといるだろ?はい……。

そこは今後の課題とするか君たちの目で確かめてみろ!とします。

絞らないと一生終わらないから……。

 

さて、気を取り直していきましょう。

この演目は「主人公のアラジンよりランプの魔人のほうが全然知名度高いよね」という理由で選ばれたらしいです。確かに。

調べたところ、題材となった「アラジンと魔法のランプ」という話は実は「アラビアンナイト」とは何の関係もないらしいです。

そして我々がイメージとして持っている「魔人が叶えてくれる願いは三つ」「最後にアラジンが魔人の願いを叶える」という要素はディズニー版のオリジナルのようで、原典では魔人は無制限に魔法を行使できるし最後にケアが入ったりもしないようでした。

ただ、本作の劇中劇でもアラジンが魔人の願いを叶える約束をしていることが示唆されています。

「オイラの願い事は”ご主人様”に幸せになってもらうことなんだ」
「今度は”君”が、オイラの願いをかなえてくれるんでしょ?期待、してるからね」

本演目についてはオタクがこねくり回す必要もなく、八恵自身がランプの魔人になりきりここなを「ご主人様」と呼びながら生活しているため分かりやすいです。

八恵がランプの魔人として振る舞うならば、ここなの願いを叶える代わりに自身の願いも一つ叶えてもらおうとしていることになります。

 

ではまず、八恵の願いごととは何でしょうか。

第五場「願いごと」にて八恵は役作りに悩むここなに自分の描くアラジン像を伝えます。

「ここなさんは、私を信じることはできますか?」
「なら簡単です!その気持ちのまま、アラジンに臨んでください」

そのとおりに演じればきっと舞台はうまくいく、と続けました。

「舞台を成功させること」自体は後述するここなの願いになるので、「私の言うとおりにすればあなたの願いは叶います」ということになります。

 

では「自分の思ったとおりに演じてもらうこと」が八恵の願いなのでしょうか。

これはあくまで手段にすぎず、もっと別の目的があることが窺えます。

その片鱗は第五場中に現れました。

「まずはシリウスでダイスター、そしてワールドダイスターに……。そしたらきっと……」

ただこれはカトリナに言わせれば「役者なら誰でもそうでしょ」ということで、願いそのものよりもそう考えるに至った理由のほうが大事なわけです。

 

それは第七場「自分を信じて」で明かされた八恵と柊の過去にありました。

柊に誘われ柊の演技に魅了される形で演劇の世界に飛び込んだ八恵は、人魚姫で共演できると知り、喜び勇んで報告しに行きます。

そこで柊がその公演を最後に舞台を下りるという話を聞いてしまいました。

シリウスからワールドダイスターを輩出する。それまでは、舞台に立つ気はありません」

八恵は台本を強く握りしめます。

柊最後の公演となった人魚姫、八恵はその舞台のポスターを見ながら当時の出来事を思い出し、願いごとを口にするのでした。

「はやく、ワールドダイスターになりたい……」

 

これは柊の願いを叶えてあげたいという気持ちもありますが、それ以上に自分の願いを叶えてほしいということでもあります。

シリウスの魔人は相手の願いを叶えるだけの存在ではありませんから。

柊は「シリウスからワールドダイスターを輩出するまでは舞台には戻らない」と言いました。

であれば、誰かが、自分がワールドダイスターになればまた柊は舞台に戻ってくるのではないか。

そして、戻ってきたなら……。

 

ファントム役のオーディションに参加する際、八恵は柊にこう言いました。

「柊さんの演じるファントムなら、クリスティーヌをやってみたかったです」

これがどういうことなのかというと、八恵にとってはファントムを演じる、つまり自分のイメージを脱却してダイスターを目指すよりも大事なことがあって。

柊と共演できるのならダイスターになることは二の次なんです。

つまり八恵の本当の願いごとは「もう一度柊と一緒に舞台に上がること」ということです。

 

柊の言葉は単なる決意の表明であり、実際にワールドダイスターが生まれたとして柊が舞台に戻る保障はありません。

しかし八恵にとっては唯一の希望になりました。

ではワールドダイスターになるためにはどうすればいいか、八恵は考えました。

「私がダイスターになるには、新しい”新妻八恵”を見せなくてはいけないんです」
「求められたまま演じる限り、ダイスターには近づけないと気づきました」

みなさんは当然疑問に思いますよね。
八恵がここなに願ったことは、ここなをダイスターから遠ざける行為ではないかと。
八恵自身もこのことに気づいています。

「存在感を示すことができない役者は消えていく」
「八恵なら、こうなることは薄々分かっていたでしょう」

それでも八恵は願ってしまいました。

自分がワールドダイスターになるために、柊と舞台に上がるために引き立て役になってくれと。

そんな八恵に、ランプの魔人に、”ここな”はこう願いました。

「八恵ちゃんがダイスターになれますように」「それは……いい願いごとだね」

八恵はいったいどんな顔をしていたんでしょうか。

魔人を演じているはずが、声だけはふだんの八恵のものに戻ってしまいました。

 

こうして願い願われる関係になったアラジンとランプの魔人ですが、実は大きな問題が一つあります。

なんでも願いを叶えられるといいつつも、叶えられないものが二つあります。

「誰かを生き返らせたり、心を操ったりはできないからね!」

本来は「誰かを殺すこと」もできないのですが、シリウスの魔人にはその縛りがありません。

八恵は役者としてのここなを殺す選択をしてしまいます。
それでも、役者としての柊を生き返らせることは魔人にはできないのです。

八恵が魔人であるうちは柊が舞台に戻ってくることはありません。

だから、八恵を解放してあげられるアラジンが登場する必要がありました。

アラジンは「核がない」キャラクターです。

つまり「役者の核・個性」がそのままアラジンになるということです。

 

ではここなのアラジンはどうでしょうか。

ここなは以前、カトリナに「役者未満」と評されたことがあります。

役者未満のあなたがダイスターどころかワールドダイスターなんて、口にするのも烏滸がましいことだと思わない?」

これは役を奪い合う間柄にもかかわらず仲良くしようと声をかけてくるここなに対しての発言です。

この姿勢自体は正されることになるのですが、「いい役がほしい、もっと見られたい」という役者が持っていて当たり前の感情を持っていないここなは役者ですらない、という部分には一定の理がありました。

そういった感情は静香に預けてしまったため仕方ないと言えば仕方ないのですが、ともかく闘争心を持たないここなは役者ではなく、”役者”の個性の表出であるアラジンにはなれません。

だからここなには八恵を助けることができない……はずでした。

 

変化が生まれたのは第六場「誰も私を見ていない」で、ここなは観客の目が自分に向いていないことに気が付きます。

 

「誰も……私を見てない……」

ここなはずっと「八恵と舞台に立てて楽しい」「舞台を成功させたい」という気持ちでアラビアンナイトを演じてきて、実際それは成功しているはずでした。

であれば、観客が自分を見ていなかったとして気にする必要はありません。

「もっと自分を見てほしい」という気持ちは静香に預けたはずです。

それでも、自分が見向きもされていない現状を認識してショックを受けてしまった。

これがどういうことかというと、役者に必要な負けん気のようなものが芽生えてきたということです。

そうして”役者”として踏み出したここなは、自分の核をもって”アラジン”となり八恵を救う力を得ました。

 

魔人はアラジンの願いごとを叶える形でランプから解放されました。

であれば、八恵も”アラジン”の願いを叶えることで解放されることになります。

”アラジン”は無理を承知で劇団員に頼み込みます。

「お願いします!」
「主演が毎公演演技を変える?そんなの聞いたことないわ」

「今諦めたら、もう舞台に立てなくなる」気がする、魔人に殺人の禁忌を犯させてしまうことになります。

「私はかまいませんよ」「私がなんとかしますから」

魔人は願いを聞き入れました。

相手の気持ちを、役者のエゴを変えることは魔人にもできません。

 

アラジンと魔人の選択により、舞台の結末が変わります。

それまでの公演は魔人がアラジンに願いを託すところで幕が下りていて、実際に願いが叶えられたかは分かりませんでした。

魔人の願いが叶えられたかどうかは観客の手に委ねられた

ここなが演技を変えてからの公演はこの先に新たなシーンが追加されます。

「君が願ったように、俺もレイラも幸せに暮らしている。君のおかげだ」

魔人曰く「ご主人様がランプの主と認められている間は何回でも願いごとを叶えてあげるよ」とのことですが、「今度は”君”が、オイラの願いをかなえてくれるんでしょ?」というように、主でなくなったアラジンの願いを叶える力はなく、アラジン自身の手で叶えたことが分かります。

 

ではここなは、八恵の「ワールドダイスターになりたい」という願いを叶えられるのでしょうか。

千穐楽のころには、観客はきっと新妻八恵のことしか記憶に残らないでしょう」
「舞台を壊した役者に、世界はダイスターの称号を与えはしない」

八恵を縛り付けていたのはその強すぎるセンスでした。
役者のほうが記憶に残ってしまう舞台は舞台として失敗だからです。

でも今回は違いました。

観客は八恵ではなく、”アラビアンナイト”に酔いしれることができています。

「この歓声が聞こえるか?みんな”アラビアンナイト”に酔いしれてる」
「誰も私を見ていない」のは八恵にとっては大きな一歩

ここなはこうして八恵を解放することができたのでした。

 

成長したここなが「願いごとはもうよそう」で〆るのが決意の表明としてあまりに美しいんですよね。

これからは魔人に頼らず自分の力で望みを叶えていくということなので……。

「もしも、また君と会うことができたら……」という言葉がどうなったかを、我々は「New Nostalgic Friend」で知っているはずです。

魔人が消えてから千年以上先の未来で、元アラジンは解放された元魔人と再び出会うことができたんですよね。

 

舞台の幕が下りた後、”再び出会った”ここなと八恵。

八恵は助けてくれたここなにお礼を言います。

「”ここなさん”、助けてくれてありがとうございました」
「明日の公演もよろしくお願いします、”ここなさん”!」

ランプの主はもういません。

そこにいたのは同じ夢を追いかける対等な二人の少女だけでした。

 

とまあめちゃめちゃ美しい構成なんですよ。

アラビアンナイトだけ急に分かりすぎて逆に竹取物語とかオペラ座の怪人のこと何も分かってない気がしてきました。

 

さて、実はこの物語は高速RTAが可能でした。

八恵の最初の問いを思い出してみましょう。

「ここなさんは、私を信じることはできますか?」

八恵を信じるとはどういうことでしょうか。

第三場にてここなに「どうすればカトリナと本物の演技ができるのか」と尋ねられた八恵は、「相手を信じて、逃げずに真正面からぶつかることです」と答えました。

「無理してカトリナさんの演技に合わせる必要はありません。ここなさんは、ここなさんの自分の演技をすればいいのです」
「役者を救えるのは、同じ舞台に立つ役者だけですから」

つまり最初から答えは出ていたわけです。

 

ただどうして話がこじれてしまったのかというと、八恵は自分の弱点が分かっていないからです。

自分のことをよく知らない状態なわけです。

だからもう既に出ているはずの答えが自分にも当てはまるとは気づけないんですよね。

「自分を知る」ということの大切さは重ねて説明してきた通りですが、それができなかった結果、八恵の願いは「ここなが八恵の演技を信じて引き立て役に回る」という八恵の意図通りの間違った方法で叶えられてしまいました。

でも相手を信じるってそういうことじゃないよね、というボタンの掛け違いが発生します。

 

八恵は自分の間違いに気づけませんが、ここなはどうでしょう。

ここなとしても舞台に立って誰かと共演できる喜びが先に立ち、現状をよしとしてしまっています。

「今度こそ、本当の俺を君に知ってほしい」という言葉が虚しく響く

第一場で静香はワールドダイスターのことを「明日の自分を信じられる人」と定義しましたが、他人を信じている間はここなからはその資格が失われてしまいます。

この負け筋は以前もご紹介した通り

第六場にて静香の説得を振り切り自らの意志で”二人だけの舞台”から降りてしまったここなに、愛想を尽かせた静香(センス≒可能性)も姿を消してしまいました。

「ごめん、明日も公演あるから。今日はもう休むね」
静香は無言で劇場を去ります。

そんな中で、役者としての感情を芽生えさせたここなはようやく自分の可能性が消失していることに気が付いたわけですが、それでも真っ先に探すべき舞台を無意識に避けてしまいます。

 

しかしカトリナとの会話を通し静香との約束を思い出し、夢と向き合うことでようやく可能性の光が再び宿ります。

「約束したんだ、静香ちゃんと……」

ここでも静香は板の上からここなに手を伸ばします。月の使者性ですね。

「「誰にも負けない、私たちだけのアラジンを、演じるために!」」

そしてワールドダイスターになる役者が持つべきわがままさをもって、ここなは舞台の演技・演出を大きく変えようとします。

「いい役がほしい」という気持ちを否定しない台本に書かれた「主役は私!!」の文字。

キャストの言を借りるとここなは「信じられるものがなかったから八恵を信じた」ということですが、これはここなと静香の役作りの結果生まれた「人間味溢れるアラジン」に活かされていきます。

アラジンは物語が進み魔人やレイラたちと出会う中で信じられるものが増えていき、それによって最後は魔人に頼らず自分の足で立つ男になる(これもキャスト談)わけですが、ここなも同様にカトリナやシャモと会話する中で八恵に頼らず立てるようになっていきました。

そうしてここなが自分の役者の核として「自分に合わせて舞台を変えてほしい」と八恵に願うことで二人の関係はアラジンと魔人として、本物の演技をするシリウスの団員として正しい形に戻っていきます。

 

その一方で、ここなと静香の関係にも変化が現れました。

前述のとおり、なんでここなに核がなかったのかというとそういう役者に必要な感情をエゴとして全部手放してしまったからです。

でもここにきて新たにそういったものが芽生え始めているんですよね。

これがどういうことかというと、ここなと静香は別々の存在になりはじめている。

静香から負の感情が失われているわけではないので、返してもらったとかではなく本当に新しい部分なわけです。

ということは静香にも同じような変化が生まれているのでは?というのは容易に想像できますね。

ここなの中に生まれた感情は役者にとって必要なものなので受け入れることができました。

では静香の中に生まれた感情はどうなんでしょうか……という話がオペラ座の怪人で描かれていくことになります。

 

さて、今回静香は家出していて役はないように見えますが、ここなと役作りをしたということは当然アラジン性を有しています。

柊さんの指導方針からすると、「人間味溢れるアラジン」の基本造形は静香が持っていたものでしょう。

信じられるものがここなしかいなかった、それでもシリウスの面々と出会う中で信じられるものが増えていったという部分も重なります。

 

しかし静香にはもっとぴったりの役がありますよね?

そう、ランプの魔人です。

「でも静香はランプの魔人を演じていないじゃん」と思うかもしれませんが、このタイミングで柊さんのセリフが重大な示唆をくれます。

「ワールドダイスターには、きっと一人じゃなれないものなのよ」

(「私は気づくのが遅かった」ということは柊もかつては八恵のように一人で舞台を破壊していたのかもしれません)

本編ではおそらく八恵が同じ結論に達していたはずですが、それを「だからここなに踏み台になってもらう」という方向に発露させてしまいました。

これが誤っていることは既に説明したとおりです。

八恵は結論の解釈が誤っていたため、その過程にある「相手を信じる」の解釈も本来自分が持っていたものから歪んでしまったのだと思われます。

では柊はどういう意図で言ったのかというと、「演劇は相手がいてこそ成り立つ」という尊重の意味合いでしょう。

これは静香が生まれた理由から考えても、本作を貫く主張の一つであると言えます。

「共演者」を失ったここながどうなったのか、ということですから。

 

であれば、アラジンを演じるここなの”相手”に対してもランプの魔人性を読み取ることができます。

ここなが願いをかけたのは誰でしょう。

静香も間接的にランプの魔人を演じていることになります。

ここなが静香に与えた役割は三つ、かけた願いは三つ。

そのうち一つは既に達成しています。

そして観客の存在を意識するようになったということは、二つめの役割も満了したということです。

残された願いは「役作り」だけとなってしまいました。

 

本来は三つ目の願いで静香を解放するはずですが、もう既に願いはかけられた後だというのが本演目の幕引き。

もう既に生まれた時点での理由は失われ、新たに生まれた「役作り」の役割だけが残っている状態はある意味一つの人格として認められるんじゃないかという気もするが、そんな簡単な話ではないよねということで次の話に投げられます。

 

本演目では八恵の「シリウスにいる理由」が開示されましたが、今回は言及しないロミオとジュリエットによってぱんだと知冴の「シリウスにいる理由」も開示されます。

キーアイテムを雑に回収したことにするのをやめな。

ここなはカトリナに「どうしてシリウスに入ろうと思ったのか」と聞かれても答えることはできませんでした。

 

幕間②

第九場ではカトリナの母、現ワールドダイスターのテレーゼが来日します。

サブタイトルでメインタイトルを回収しておきながら箸休め的な要素も持つ不思議な回ですが、いくつか情報が提示されているため整理しておきましょう。

 

・静香の変化

まずはこちらをごらんください。

かわいい服着てるね。自分で生み出したの?

なにかお気づきになりませんか?

静香はその生い立ちから私服にしても稽古着にしてもずっとここなと対になるようなものを着ていたんですよね。

私服と稽古着には統一感がある

それが初めてまったく違う服装をしているんですよね。

アラビアンナイトで少し触れた、ここなと静香の分離が始まっているわけです。

 

ただ、この変化はここなにとってはいいものでも静香にとってはどうでしょう。

ぱんだたちとのやり取りからすると今は夏休みで学校もなければ劇団も休み、羽を伸ばすためにかわいい服を着ているとも取れます。

ところがここなの話を聞くと、ここ数日はカトリナと飛び入り参加できるインプロ劇団に通っているとのこと。

演劇漬けなのであれば普段どおりの動きやすい私服か稽古着のほうが都合がいいはずです。

 

ところがこのインプロというのは台本のない即興演劇のことで、言ってしまえば「役作り」という静香の現状唯一の役割が必要ないものなんですね。

だからこんな動きづらそうな服を着ていても平気なわけです。

もしかしたら静香はシリウス寮でお留守番しているのかもしれません。

”カトリナちゃんと一緒に”としかここなは言っていないので。

 

また、第八場「ロミオとジュリエット」と第九場では八恵が小学生であること、夏休みの宿題があることを理由に舞台に立てていません。

その結果、常に舞台の外にいる静香と一緒にいることが多いです。

「やっぱり、舞台に立ちたくなってきました!」
演じるのってすごく楽しいです!」というここなの言葉を聞く二人

そうした中で、八恵は静香から伝わるとある感情に気づいていきます。
それが第十場「それぞれの幻影」にて表出してしまいました。

「ファントムを演じてみたいんじゃないですか?」
「さっきの演技を見ていて、舞台への渇望を感じました」

幕間①で触れた第四場での「本当は出るべきじゃなかった」というのは「静香がここなが役者として舞台に立つために必要な存在だから」ではなく、「舞台への渇望を抑えられなくなるから」だったわけです。

静香に預けたはずの舞台への渇望が再び生まれたここなと、預けられた渇望が隠しきれなくなってきた静香。

ふたりの関係は少しずつ変わっていきます。

 

・テレーゼ(月の使者)の来訪

先に触れたとおり、第九場は竹取物語の延長でもあります。

第八場までは竹取物語でいうとかぐやと操が二人で過ごす時間を描く段階でしかなかったわけです。

シャモ曰く「少し伸び悩んで」おり、テレーゼ曰く「いくつかの劇団からオファーが来ている」カトリナは、月に帰り環境を変えるのも一つの手でした。

しかしカトリナはここなに力強く宣言しました。

「私はワールドダイスターになるためにシリウスに入った」
「あんたにも新妻にも負けるつもりはないわ」

最初は役者未満だと思っていた相手に実績として劣ってしまっています。

そんな状態で帰れるわけがないんですよね。

よくここなに赤面させられているので勘違いしてしまうかもしれませんが、これは完全に役者としての自我です。

”いくつかの劇団”というのが石作皇子等だとするとそれを振ってここなを選んだということで、「恋心に似た小さな想い」の説明がついてしまいますが気のせいです。

カトリナさん、本当にがんばってほしい。

 

・ワールドダイスターの演技、柊の真意

テレーゼの演技で抑えておくべき点はいくつかあって、まずワールドダイスターは当然のように舞台セットを召喚します。

「さあ、地獄に堕ちよう!」

この原理については既に説明したとおりですが、改めてこういうことができる人たちということを認識しておきましょう。

 

更に言えば、テレーゼは自分のセンスを使っていません。

というのも、センスは自分の色に瞳が輝くんですよね。

テレーゼはカトリナと同じ瞳の色をしているので同じように輝くはずです。

しかし実際は紫、つまり柊のセンスに乗っかってるだけなんですよ。

「本番に近い演技ができた」ということはまだ先があります

にもかかわらず、柊は一方的に汗をかいているわけです。

そしてそれだけのパワーがありながら観客は柊のことも見えている(舞台を壊していない)んですよね。

「柊さんもすごいね……テレーゼさんに視線が集中するように演技していた気がするの」

これがワールドダイスターの実力ということです。

柊はワールドダイスターを前に改めて自分との距離を認識します。

「遠い、ですね……」

柊は「私も”改めて”、ワールドダイスターのセンスを肌で感じられました」と言っていますが、直前の挨拶で名乗っていたことから直接の面識はないと思われます。

ということはどこかで一方的に演技を見たことになります。

そのタイミングで現状の自分に対する限界を感じたのではないでしょうか。

テレーゼ曰く柊のセンスは「共演者を立たせる類のもの」らしいです。

 

しかし第五場では「昔はだいたい柊さんが主役」と言われているように、当時のシリウスは立たせるべき共演者が不在の状況だったと推測されます。

だからこそ一度舞台を下り、自分が立たせるべき存在「シリウスのワールドダイスター」の出現を待っているんじゃないかと。

「ワールドダイスターには一人じゃなれないもの」とはおそらくそういうことなんですよね。

テレーゼはそれを知ってか知らずか、こう言い残します。

「もっと自分を知れば、センスはさらに進化する。そのときを待っているわ」

これは想像なんですが、今回の来訪は「シリウスが娘のカトリナを預けるに足る劇団か」をテストするためのものだったんじゃないでしょうか。

本質は月の使者ですから、強引に連れ帰ることも考えていたはずです。

それでカトリナの住む町の環境、共演者、指導者を見て回った。

そしてテレーゼはここならカトリナを預けられると判断し、あとはカトリナの選択に委ねることにしました。

 

とはいえ飛行機の中でメッセージを受け取っているくらいですから、答えは分かっていたものだと思いますが。

テレーゼはカトリナ、ここな、静香を「未来のダイスター」と呼びました。

その上で柊にセンスを進化させろということは、「教え子をダイスターにして自分も舞台に戻ってセンスを進化させて自分のところまで登ってこい」ということで。

ワールドダイスターはいったいどこまで見えているんだよっていう凄味があるんですよね。

 

というわけで、第九場は舞台の外側にいる静香と柊にスポットライトの当たる回でした。

八恵がワールドダイスターになれば本当に柊は舞台に戻るであろうというのが分かったのも地味に大きいですね。

未来のダイスターたち

 

オペラ座の怪人

配役 ファントム:静香

基本的にはこれだけでいいです。

これはあくまで論旨上の都合であって、実際は全員配役どおりの読みが出来ますしプラスで全員ファントム性も併せ持っています。

オーディションに向けて役作りを行ったのもそうですが、ファントムの持つ舞台への渇望は役者であれば誰でも持っているものなので。

あとは直接演じていないものとして、ここなは静香にとっても八恵にとってもクリスティーヌになり得ます。

 

さて、このオペラ座の怪人という演目は「名前くらいは聞いたことがあるけど……」みたいな人が多いんじゃないかと思います。

実際筆者も白井夢結さんが好きということくらいしか知らなかったので、その状態でも拾える情報から読んでいきたいと思います。

原典は……いつかちゃんと読みます……。

 

この話はまず秋公演である「オペラ座の怪人」の主役・ファントムを演じる役者を決めるオーディションを行うところから始まります。

このオーディションで見たいのは「センスの可能性」です。

おそらく第九場でテレーゼに言われたことが影響していると思われます。

 

オーディションへの参加は誰でも可ということで、主役争いの場に身を投じるかどうかという各々の選択が描かれました。

アラビアンナイトの際に前借りしてしまったのですが、この章で提示される「役者の当たり前の感情」からすれば全員即断でもおかしくありません。

八恵も即断。求められたまま演じる限りダイスターには近づけないのは変わりません

しかしここなは少し躊躇います。

自分に自信がない部分は突然変わるものでもありませんから。

それでもようやく芽生えた役者としての自我、そして第六場の「主役をやればワールドダイスター(≒静香との約束)に近づく」というカトリナの言を胸にここなはファントム役に立候補します。

”誰でも”ということは本当は静香にも権利はあったはずですが、静香はそれを行使しませんでした。

 

台本を受け取ったここなにカトリナが声を掛けます。

カトリナはそこでここなへの感情を吐露し、以前自分が否定した「役を奪い合うライバルだろうと手を取り合うことはできる」ということを示しました。

 

一方で静香は一人稽古場で役作りに励みます。

ここなに渡された「オペラ座の怪人」の台本を手に取る静香

そこで八恵に「本当は舞台に立ちたいのではないか」と問われた際に、演技中ではないのにファントムと思考が重なっています。

「私は影、醜い怪物なのだから」
「だって私は、ここなのセンスなんだから」

柊曰く「自分から遠い役を演じてみたいと思うのは役者の性」とのことですが、自分と重なる役についてはあまり演じたくないとも取れます。

役作りは役を知り自分を知ることですから、自分と向き合うことを恐れているうちはうまくいきません。

 

実際、静香がここなとのすり合わせのタイミングで披露した「社会から拒絶された怒りと孤独を爆発させるファントム像」は、「THE オペラ座の怪人って感じ」でありシリウスの台本に深く潜った結果辿りついたファントムではありませんでした。

「ファントムを演じるためにはもっと深く潜らないと」

それに対してここなは「夢見がちな一人の男としてのファントム」を演じてみせます。

自分が台本を読んで感じた、「誰かに愛されたかったファントム」を表現します。

「私が台本を読んで感じたファントムは、暗闇の中でひとり膝を抱えてた」

ここなは台本をもらった直後にカトリナに呼び出されているため、実際には「静香が先に読んで、演じた台本」を見てそう感じたわけです。

自分とは違うアプローチで役作りをするここなを見て、静香は己の役割を見直します。

 

「役作り、一人でできるようになったんだ」
いつか帰るはずの月を見上げます

この手段としてライバルたちの演技を分析するのですが、これは正しくありません。

ファントムを演じるために必要なのは他人の研究ではなく役にもっと深く潜ることだと自分で言っていたはずです。

答えは分かっているのにアプローチを間違えてしまう、というのはアラビアンナイトでも描かれていましたが、このときの静香は自分のセンスとは逆の右目が他人の光によって輝いてしまっています。

 

そんな中、カトリナの鬼気迫る演技を目の当たりにし、今のままでは勝てないことを認識します。

カトリナの演技を見てここなは弱気になります。

「あんな演技、どうすればできるんだろう」

ここなが”本物の演技”をできない理由は既に挙げた通りです。

「ここなに欠けているもの、教えてあげる」

そして今回、静香の残された役割である「役作り」についても失敗し、自分の胸を締め付ける舞台への渇望も抱えきれないほど膨れ上がってしまいました。

 

であれば、もうやるべきことは決まっています。

かぐや姫は月に帰るときがきてしまいました。

最後の願いを叶えた魔人は千年の眠りに就かなくてはいけません。

確かに役者に必要な感情を押し付けたままの状態は正しくありません。

これもキャスト談ですが、ここなが手放してしまった感情を「静香が大事に持っていてくれた」という表現が真に迫っていて、必要なときがきたら返してあげなきゃいけないんですよね。

 

ただ、感情を返すことと静香がここなの中に還ることは必ずしも同義なのでしょうか。

静香という存在は、ここなが自身を失って抱えきれなかった感情の拠り所でしかないのでしょうか。

静香は言いました。

「私はここなのセンス。ここなが作り上げた、ここなの舞台に必要だった相手役」

でも舞台の相手役に求められているのはすべてを委ねることではない、というのはアラビアンナイトで描かれていますよね。

 

ここで足を止めて考えてみましょう。

そもそも静香はどうして自ら消えることを選択したのでしょうか。

柊さんが言うには、静香は「演じる役に溶け込むのが異様に上手い」「役の感情を正確に引き出せる」「憑依型と言われるタイプに近い」そうです。

そんな静香がどうしてここなの考えた「夢見がちな一人の男」というファントム像にたどりつけなかったのでしょうか。

 

ここなが自分の可能性を見失ってしまったとき、答えは舞台の上にしかないにもかかわらず目を逸らして浅草の街中を探してしまいます。

静香はここなの弱さから生まれていますから、答えは台本に深く潜ることでしか見つからないはずなのに同じように目を逸らして他の役者を研究してしまうわけです。

であれば、ここなはカトリナの助言によって現状を認識することができたように、静香にも誰かが外側から現状を認識させてあげる必要があります。

「あんたは主役なのよ。主役が迷ってたら、脇役の私たちがどんなに頑張ってもフォローできないでしょ」

このセリフはカトリナの実体験を踏まえていて、操役のここなの頑張りはもちろんですが、カトリナ自身が前を向いたことでようやく進むことができたんですよね。

ここでも答えは最初から示されていました。

 

しかし静香は「主役じゃない私の出番はここで終わり」と言っていて、周りがどれだけ頑張ってもフォローできない状態にあります。

「主役は私!!」という気持ちを認めて前を向かないかぎり静香が救われることはありません。

本当は幼き日の静香がここなにかけた言葉がそのまま答えなのですが、自分自身に向き合わない限りは自分の声は自分には届きません。

「そしたらその子が怒ったんだ。”自分の気持ちに嘘ついてたらいい演技なんてできないよ”って」

ではなぜ静香は自分自身に向き合えなかったのかというと、ここなが自分自身と向き合っていないからです。

 

「舞台に立ちたい、良い役が欲しい、誰よりも輝きたい。他の役者を蹴落としてでも」

そういった感情が自分にあり、それを静香に押し付けていたことを知ったときここなは己の中にあったはずのそれを否定してしまいます。

「私そんなこと――――」「思ってた!」

でも静香が言うようにそれは舞台に立つ役者として持っているべき感情なんですよ。

「でも思っていいんだよ。役者なんだもん」

静香はもう一人の自分ですから、その根源にある自分の醜い感情とも向き合わなければいけなかったんです。

「だけど、怖いよ」
「教えてくれたら、ちゃんと演じるから!」

それができないから、静香は消えるしかなかったわけです。

 

そうして静香はここなの中に戻っていき、オーディション本番を迎えました。

ここなの披露したファントムは、決して演技ではありません。

ここなの中に戻った静香の感情そのものです。

「本物の舞台の上は眩しかった。ここなの成長は眩しかった」

「私も立ちたい、できるならあの光あふれる本物の舞台の上に」

「光を求めてしまうんだ」

そういった「心の弱さ、純粋さ、表舞台への渇望、求めても手に入らない苛立ち、嫉妬、悲しみ」を持った複雑なファントム像は、ここなに主役の座を勝ち取らせます。

 

しかしここなの顔に笑顔はありませんでした。

「オーディションを勝ち取った役者の顔じゃないわね。ファントムが抜けきってないみたい」
「あれはファントムじゃなくて、私の中に消えていった静香ちゃんだから」

柊はここながこの先センスを失う可能性を理解しつつ、「ここなが演じたファントムが舞台に立つ姿を見たい」という理由で主役に抜擢します。

ここなの披露したファントムは”演技”ではなく”静香の感情”でしかなく、これをそのまま舞台に持ち込んでしまえばそれは役者ではないわけです。

ただ、このオーディションの判断基準は「センスの可能性」です。

柊はここなの中に新しい可能性を感じました。

 

ではここながセンスを取り戻すにはどうしたらいいのでしょうか。

元ワールドダイスターであるシャモはここなに言います。

「舞台に立つということは芝居を通して自分を知ることよ」
「自分の内側にある輝きと向き合うことでセンスは生まれる」

舞台の上で改めてここなは自分自身と向き合います。

「目の前にいるのはもう一人の自分、あなたの話すべき相手」
「聞いてごらんなさい、あなたが今どうしたいのか」

そして思い出しました、ふたりの”約束”を。

「一人だけじゃ挫けちゃうから、私には必要だったの」「約束。思い出して」

 

この作品は「少女たちが夢を叶えるための物語」ですが、実は”夢”というのを全く信用していないアニメでもあって。

第一場「夢見る少女」で示された夢は実は二つあります。

ここなの夢が「ワールドダイスターになること」であることは先に触れましたが、実はこのタイミングで静香の夢も提示されており、それは「ここなをワールドダイスターにすること」でした。

サブタイトルが”少女”という単数形なのは、まだここなと静香が同一人物だったからです。

 

同一人物というのはまったく同じ人が二人いることを指しません。

一人の存在が二分割されたとして、合わせて一人なのであればそれは同じ人間と同義です。

竹取物語でも少し触れましたが、「一人二役」というのはふたりがまだ”二人”になり切れていないということです。

実際この時期は「静香のつく悪態が実はここなの本心」というのを狙って演出しているようです。

「なんなのあの子。かわいい顔してクソ生意気じゃない」
ふーん、ここなってカトリナのことかわいい顔だと思ってるんだ……

しかしアラビアンナイトを演じる中で二人の関係に変化が訪れます。

一度は見失ってしまった静香をまた見つけた時の言葉。

「”静香ちゃんと一緒に”、ワールドダイスターになりたい」

ここなの夢は少しだけ形を変えました。

 

そして第十一場「私たちの約束」で”約束”の真実が明かされます。

第一場で示された約束は、欺瞞とまでは言いませんが真実とは離れていました。

ここなは自分の夢を信じ切れていませんでした。

「ほんとはね、心のどこかで無理だろうなって思ってた」「自分のこと信じてなかった」
鏡に映る自分自身と向き合って直視した真実

代わりに「夢見る少女」を演じることで自分を信じさせていました。

これは同時に、ここなと同一人物である静香も夢を信じ切れていなかったことを意味します。

ここなは「自分を信じてないから忘れてしまったのかな」と言っていましたが、静香も自分を信じていなかったので約束を忘れてしまっていたんですね。

大切だったはずの約束

ここなの負の感情から生まれたのが静香であるなら、ここなと同様叶うか分からない夢を見続けることは静香だって怖いんですよ。

 

八恵に舞台に立たないのかと聞かれたとき、静香はこう返しました。

「だって私は、ここなのセンスなんだから」

「舞台に立つということは芝居を通して自分を知ること」であるならば、自分を知らない限り舞台には立てません。

静香は自分が何者か分からないうちは舞台に立てないんですよ。

そんな状態でワールドダイスターになりたいなんて言えるでしょうか。

舞台に立てない役者未満の自分が、そんなことを口にするだけでも烏滸がましいのではないか。

 

叶うか分からない夢なんか最初から見ないほうがずっと楽です。

その代わりに新しい夢と、それを信じる自分を演じました。

「ここなもなれるよ、私がしてみせる」

「夢見る少女」が反転する瞬間、急速に地に足がついていきます。

OPテーマの「ワナビスタ!」には「”憧れ”はきっと最初に演じた役」という歌詞がありますが、ここなは「ワールドダイスターに憧れる自分」を、静香は「ここなが憧れる自分」を演じることから物語は始まったわけです。

「憧れちゃったんだもん。しょうがないよ」

「演じた役を読み解く」というコンセプトはどこに行ったんだよと思っていたかもしれませんが、無事本題に戻ってこられましたね。

 

ただ、この作品において夢見る少女を”演じる”ことは必ずしも正しくありません。

「明日の自分を信じること」とはかけ離れているからです。

 

だから彼女たちはもう一度約束を結びなおす必要がありました。

「ワールドダイスターになりたい」は願いの本質ではありません。

カトリナが演じたかぐやのように、八恵が演じた魔人のように、本当の意味が他にあるわけです。

 

ワールドダイスターになるのはあくまで手段でしかなく、自分がワールドダイスターになったら静香もなれるはず、つまりここなの夢は「静香をワールドダイスターにすること」なんですよね。

「私がなれたら、静香ちゃんも絶対なれるよ!」

そしてそれすらも手段でしかなく、本当の目的はその先にある「いつか一緒の舞台に立つこと」です。

「そしたらいつか……いつか、一緒の舞台に立とうね!」

アラジンがランプの魔人に願ったのは、たった一つのことでした。

 

であれば、まだ間に合います。

ランプの魔人にはまだ叶えられる願いが残っています。

そのためには「目指せ!ワールドダイスター!!」ではダメなんです。

それでは「夢見る少女」で止まってしまう。

 

ここなは決心します。

「私、みんなと稽古します。静香ちゃんにもう一度会うために」

舞台に立ち芝居を通して自分を知り、自分の中にある輝きと向き合うために。

そして仲間たちに一緒に稽古をしてくれるようお願いします。

演劇は相手がいないと成立しません。

自分の中にある輝きと向き合うということは、静香と向き合うことでもあります。

そして迎えた本番で、ここなは静香のいない舞台に立ちます。

「私が舞台に立てたのは、静香ちゃんがここから私を送り出してくれたから」
「だけど、静香ちゃんがどんな気持ちだったか知らなかった。だから、もう一度!」

鏡映しの静香の瞳にセンスが宿ります。

静香が消えなくてはならなかったのはここなが自分と向き合っていなかったからで、静香が舞台への渇望を抱えきれなかったのは舞台に立てないからです。

「だから、返すねこの気持ち。舞台に立てない私が持ってるべきじゃないもの」

であれば、ここなが自分と向き合い、静香と向き合い、静香も芝居を通して自分と向き合ったのであれば何の問題もないわけです。

役作りとは役を知り自分を知りその共通点と相違点を探しながら一歩ずつ近づく行為であり、演技とは相手を信じて正面からぶつかる行為です。

ここなが静香を別の存在と認め、相違点を理解しようとすることで、「静香の感情」でしかなかったファントムは改めてここなの”本物の演技”になります。

一度は驚いた自分の本性から、ここなはもう逃げません。

「さっきは驚いたりしてごめんなさい。もう逃げたりしないわ」
「だからもう一度、私にあなたの顔を見せて」

 

本当はこれも答えはもう出ていたんですよね。

二人一役といいながら実際は一人二役の役作りを行っていたここなと静香ですが、ファントム役を作り上げる途中でこんな一幕がありました。

「そっか、ここのファントムって昔の話をしたくなくてそっけないのかと思ってたけど……」
「それだけじゃないと思うの。クリスティーヌと過ごす時間がいとおしくて、大切にしようとしていたんじゃないかって。ここなのファントムに対する解釈を聞いて思ったの」

”ここ”というのは静香が演じた怒りのエチュードの部分を指しますが、台本上ではこのシーンの導線として「クリスティーヌに素顔を見られ自嘲するファントム」というシーンが入っています。

静香と重なるこのシーンは、それまでの静香であったら直視できなかったかもしれません。

それでもここなから見た静香のファントム像を伝え、それを聞いて静香は自分自身を理解する。

そうやって自分の輪郭を明確にすることで静香はここなから分離していく。

静香が自分を知ることで役作りは更に進んでいく。

二人一役の役作りへの第一歩めが確かにそこにあったんですよね。

 

ここなの精神世界で静香に「やっぱり、ここなはワールドダイスターになれるよ」と言われたとき、ここなは第一場とは違い言い切りました。

「なるよ。きっといつか」

これは自分を信じることと同時に、「自分がなれたら静香もなれる」という子どものころの無邪気な約束を静香にも”信じさせてあげる”ことです。

できないからと諦めていた舞台に立つことを、できるのであればどうしたいのかと問いかけます。

「静香ちゃんはどうしたい?」

ランプに閉じ込められていた魔人に願いを問うように。

この問いはシャモが言っていたように、「もう一人の自分」に対する問いかけです。

幼き日のここなへの問答と同質のものです。

 

そして初めてここなのほうから静香に向かって手を伸ばしました。

まるでかぐや姫を月へ連れて行くように。

今度はここなが自信を失った静香の感情の拠り所になる、そういう意志表示です。

これまでは静香が自信を失って抱えきれなくなった気持ちの拠り所でした

ここなは静香に言いました。

「約束はね、”二人”いないとできないんだよ」

あなたはもう一人の私であり、それでいてどうしようもなく別の人間なんだよと。

その言葉のおかげで静香はようやく自分自身の夢と向き合うことができました。

「私も立ちたい。ここなと一緒に」

 

実はこれ、まるっきり根拠がないってわけではなくて。

静香を迎えに行く前に、センスを進化させたここなは前述の「観客に作品世界をリアルなものとして見せる」ことに成功してるんですよね。

「なに……?あんなの、用意してない……」

テレーゼ曰く、「”センス”によって極限まで研ぎ澄まされた表現力は、自身の創造した世界を伝播させる」

であれば、静香(センス)の存在だって観客に知らしめることができると思いませんか。

実際ここなにしか見えていなかった存在が周囲からも見えるようにはなったわけで。

だからこれはそうなったらいいなという夢を見るような話じゃなく、夢を叶えるための話なんですよね。

 

そうしてオペラ座の怪人はここなのゴーストとしての役割を終え、一人の人間として歩き出していきます。

その象徴である仮面と、一輪の薔薇を残して。

”ファントム”は崩落に巻き込まれて音楽と共に永遠になりました

そもそもファントムの仮面が覆っていたのは右目(ここな)側なんですよ。

静香が自分で言っていたとおり、役者の持つ負の感情というのはあって当然のものであって、本当に醜いのはそれを他人に押し付けた側なんです。

だから静香は最初からファントムではなかったんだと思うんですけど、自分のことって結局のところよく分かってないですからね。

この作品に限らず人ってそういうものですから。

 

こうして新たな一歩を踏み出した二人ですが、これはふたりきりでは決して成し得ませんでした。

ワールドダイスターにはきっと一人ではなれないものなので。

作中での時間を通し、静香たちは多くの人と触れ合い、多くの役を演じてきました。

そうした中で自分の輪郭が明確になっていった結果、ようやく別の人格として生きられるようになりました。

誰かに愛されたくて膝を抱えていたファントムは、隠していた舞台に立ちたいという本物の感情をぶつけることでようやくシリウスの演技ができるようになりました。

静香にもようやく「シリウスにいる理由」ができたことになります。

一人二役」が「私達のシリウス」に進化したこと、ただそれだけが全十二場で描きたかったことなんじゃないかなあと思うわけで。

 

公演が終わり、少し時は流れ、ここなと静香は舞台の上で語らいます。

「次の演目、何やると思う?」「なんだろうと、主役は私たち」

もう静香は自分が主役であることから逃げません。

そうしてもう一度ここなに手を伸ばします。

しかしこれは今までとは違い、ここなを舞台に立たせるためではありません。

二人とも既に舞台の上にいて、手を取り合うために差し出しました。

静香はもう「ここなが舞台に立つためのセンス」ではないのですから。

 

本作は第十二場のサブタイトルでもある「きっと ふたりで」というここなと静香のセリフで〆られますが、その夢が叶うことを私たちはもう信じさせられています。

星と二人分の!!マークがうれしい

 

ここな曰く、これは「私の物語」ではなく「私たちの物語」。

そして本作曰く、「私たちが夢を叶えるための物語」。

それでは筆者の目にはどう映ったのか、それをもって今回は筆を置くことにします。

 

これはきっと、「”ふたり”が”二人”になるまでの物語」。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

カーテンコール

わーみなさんカーテンコールありがとうございます~!(茶番)

本当は本文が終わった時点で綺麗に〆るつもりだったんですが、やっぱ舞台と言ったらカテコが必要だろという気持ちがあったのであとがき的なものを書いときます。

ブログと言えばボーナストラックみたいなとこもあるしね。

 

最近はクールごとの新アニメを消化(という姿勢自体がよくない)するのに必死すぎてひとつのアニメに腰を入れて向き合うことがなかなかなかったんですが、フォロワーが全力で向き合っているのを見て「自分の考えもまとめないうちからフリーライドして分かった気になるのも違うな~」と思い、なんとかかんとか形にできました。

 

元々構想自体はあったのでまず1万字くらいの草稿を作ったあとに再視聴しながら事実・前後関係を確かめる方向で書き始めたんですが、かなりボロがあるし次々に新事実の再発見が進んでいくしで結果的に想定の3倍近くなっちゃいましたね。

ていうか最初に書いた文章も7割くらいは消しちゃったし……。

 

このアニメ、後から分かることが多すぎて繋がるころには記憶の彼方に行っちゃっててうまく接続できてないものが多かったんだな~と反省。

与太のつもりで書き始めたのに、八恵がここなのセンスに乗せられる形で「クリスティーヌを演じる八恵」ではなく「クリスティーヌ」になって「ファントム」にキスをしたときには「マジで正解なの!?」って叫んじゃったよ、もう。

してないと見せかけてマジでしてて失神した
「ぱんだと流石はしてなかったじゃん!」と思ってたけどそういうことだったらしいです

まったくもってここなと静香の物語しか追えていなかったんですが、今回信じて正面からぶつかった結果八恵のことがかなり好きになってしまいましたね。

ソレリこと柊に舞台に連れられオペラと出会い、そこでクリスティーヌの歌声に恋をした八恵、狂うだろ……。

 

後半一気に収束していく関係でアラビアンナイトあたりから急速にこのアニメの楽しみ方を理解したせいで、そこから急激に文章量が増えちゃってすごく歪になっちゃったのでもしかしたら竹取物語とかは加筆するかもしれません。

そもそもそこまではだ・である調でかっちりした文章を書いていたのに「シリウスの演劇の話をするのに感情と感情がぶつかる文章じゃないのは嘘だろ」と思ってやり直してますからね。

この文章が、シリウスの劇団員が放つ光のように、読者の瞳に輝きを燈す一助になったのであればいいなと思います。

いつかみんなでbest_daistar_JPになろうね。(ワールドじゃないんだ)

 

さて、ここまでお付き合いいただき本当にありがとうございました。

みなさんの中でワールドダイスターというアニメが60点くらいにはなったでしょうか。

TVアニメ「ワールドダイスター」は全十二場で終わってしまいましたが、好評配信中のおソシャ「ワールドダイスター 夢のステラリウム(通称ユメステ」ではアニメの先の物語が描かれています。

まあ筆者はものぐさなのであまりちゃんと追えていませんが……。

 

また、11月にはライブイベントも控えていますし、なぜか現在台東区とコラボしてスタンプラリーを行っていたりもするので興味がある方は是非。

メディアミックス作品はアニメにハマったあと突如虚空に投げ捨てられたりしないという点で救いがあっていいですね。

まあガチャと一緒に精神をすり減らしながらやつれていくという宿命も背負っているんですが。どっちがマシなんでしょうか。

 

それではまた2年後くらいにお会いしましょう。

もしも、また君と会うことができたら……。

 

いえ、願いごとはやめておきましょう。

2022年best_animation_JP決定戦

「たぶん面倒になっていずれ書かなくなるやつ」をご覧のみなさんこんばんは、best_tubuko_JPです。

いずれ書かなくなるどころが1回限りで書かなくなり2年の歳月が流れたみたいです。

去年は「去年がんばったしええやろ~」と思って何も書かなかったんですが、今年は「去年がんばらなかったしやばくないか?」という危機感を持ったので書きます。

嘘、本当は今年のアニメが素晴らしかったから書きたくなりました。

そういうと21年のアニメに失礼かもしれないけど、まあこういうのはタイミングだから……。

タイトルにはbest_animation_JPとあるんですが実際はbest_tubuko_JPが”好き”なアニメの話をします。

いいですか、面白いとかおすすめではなく”好き”です。

2022年を代表するbest_animation_JP(best_tubuko_JPの選ぶ最高のアニメ)を選出するという話です。

本当はサクッと10選にしたかったんですが、イイアニメが多かったので20位から発表しちゃおっかな、えへへ。

※これは単純な好みとして、2期以降のものは選出しないがちです。

 

best_animation_JP 20~11位はこれだ!

第20位 「乙女ゲー世界はモブに厳しい世界です」(22年春)

いわゆるざまあ系の作品に該当する作品になると思う。

巷では”スカッとジャパン”と揶揄されるように、明確に主人公ageを目論んだ敵役のsageは不愉快なことが多い。

実際俺も最初はこの作品のことをあまり好きではなくて、それは上記の理由に起因するものだと思っていたんだよな。

ところが話が進んでいくうちにどうやら俺は「リオンくんはこの世界に自分の居場所があると思っていない(ので相手に影響を与えてはいけないと思っている)」のが好きではないのだと気づいて(同族嫌悪だね)、最後にはそれを認められるようになったのが良かったと思う。

最初はいけ好かないだけだった王子たちがいい感じに味を出すようになったのも大きいし、オリヴィアたむがガチで萌えだったのがいちばん大きい。

ガチで萌えのガールは一人いるだけで勝ちなんですよね、勝ノ瀬加那。

 

第19位 「このヒーラー、めんどくさい」(22年春)

クマと戦うアニメは名作。

このアニメのこと全員ゆるーいギャグアニメだと思っていたと思うんですよね。

まあ実際それも否定できないんですけど……。

でも回を追うごとに「カーラさんってもしかして……アルヴィンのことが好き!?」という気持ちが増していく独特の距離の詰め方がすごかった。

というか「自分から離れると死んでしまう呪い」の使い方がうますぎるだろ。

これがまさかIs this love!?のこと本気だと思ってたやつ、いる?

まごうことなきラブコメでした。

全体的に「うれしい」のカテゴリに入るアニメだったと思う、やっぱうれしいアニメには最終話で全員集合してほしいもん俺はさ。

あとうれしいアニメにはスゲーなで肩の分際でリュック背負ってるキノコとかいてほしい。

それはそうと1話のED時点でその後のゲスト声優が発表されたせいで膝から崩れ落ちた。

 

第18位 「継母の連れ子が元カノだった」(22年夏)

”私服がダサいいさなのため、結女と暁月はいさなと一緒に可愛い洋服を探しに行くが、いさなのGカップがすべての洋服をエロくしてしまう…”

のパワーだけで選出した気はしないでもない。

でも俺は「この人じゃないとダメってことはなくて本当にタイミングがそうだっただけで誰でもよかったんだけどその人でよかったと思えるといいよね」という派閥だから、最終話の着地だけは結構満足してるんだよな。

それにフックのためだけに過剰なタイトルと設定をつけたように見えるのに、両親の”再婚”という行為自体にちゃんと意味があったのがえらかった。

もしかしたら不良がちょっといいことすると評価上がるやつかもしれない、上記で挙げたところ以外はだいたいダメだったし……。

まあ東頭いさなさんがbest_girls_summerの一角に選ばれたのでやっぱり萌えガールのパワーかもしれん。

俺も女の靴下脱がしてえよ、マジでさ。

 

第17位 「トモダチゲーム(22年春)

正直めちゃめちゃ舐めてたアニメで、視聴者に対して謎かけされたときも「このアニメに本気で取り組んで過去回を見返して考えた結果間違ってたら恥ずかしいし……」と一切の情報整理を放棄していたので毎週綺麗に騙されて気持ち良かった。

作品自体の好感度が低いうちは声の沢良宜さんとエロい身体のゆとりちゃん原文ママ)で視聴意欲を稼ぎつつ中盤以降は天智くんのパワーで押し込む大胆な構成だったね。

かなり体験型のアニメなせいで内容について話せることあんまりないな……。

アニメは演技力勝負ということを教えてくれたことは偉大だったかもしれん。

トモゲを見ていたおかげでブルロで大川君の陰に司令塔がいることにすぐ気づけたのもよかったかも、ほんとか?

 

第16位 「サマータイムレンダ」(22年春)

俺はCoC畑の人間なので1話の時点でだいぶ雰囲気に覚えがあったね。

人によってはゼロ年代のエロゲだったりを思い出すらしいけども。

一見伝奇ぶってるけど最後は神話生物が出てきてマーシャルアーツでボコだと思っていたので、概ねそういう感じで進んでいったのには笑った。

というか2クール目のOPからの馬脚の現し方すごかったね、もう誰も星を泳いでない。

慎平が人間やめたあたりからもうだいたい暴力で解決してた気がする。

お前、最終決戦でOPがかかるタイプのアニメだったんだ……。

これは余談なんですが俺は最終話までに大きな出来事は終わらせておいて最終話は後日談というか魂の救済にのみ当てられるアニメが好きだから、そういう構成にしてくれるだけで加点が出ちゃうんだよな。

それが求めていたものもそこまでは求めていなかったものもひっくるめてそこに全部ある話だと本当にうれしい、最終話には全部あった方がいい。

 

第15位 「恋は世界征服のあとで」(22年春)

今思うとマイルドなふうこい枠だった気がする。

前提の設定が狂っているのと俺が常に叫んでいたことを考えると……。

やっぱお前らは敵対し合ってるんだろという部分が前提にあって、それでこそこそ陰でやってるのはお互い味方に申し訳なくないの?みたいなのはなくもないんだよな。

ピンクジェラートさんもすぐ負けを認めちゃったというかもうちょっとガッツを出して不動さんに迫ってほしかったのはあるよな。

でもそれを差し引いても禍原デス美さんが……萌え!!!!

デス美さんがさあ!本当にかわいくてさあ!

不動くんがさあ!本当にいいやつでさあ!

やっぱ俺って萌え豚なんかなあ……。

恋は世界定理と共にいい曲すぎ!!!!!!!!!!

 

第14位 「くノ一ツバキの胸の内」(22年春)

まずはじめに、政治的理由によりこの作品の円盤を購入してしまい申し訳ございません。

でもある程度面白くないと政治的な理由があっても買いませんからね俺は。

このアニメがどれくらい政治的かというと、俺が大学時代一番仲の良かったやつが結婚したときにそいつの家で飲みながら「こういうのも今回で最後かもしれないから泊まっていけよ」と誘われたときに「好きな女性声優が初めて主役を演じた作品が地上波で放送するから無理」と返したくらいにはセンシティブです。

余談はさておき、このアニメのことを俺は最初勘違いしてたんですよね。

主人公は男に興味津々だし里のくノ一はドエロい格好をしているしちんちん連呼してるし、どう考えても山賊の顔をしながら見るアニメだと思ってたんですよ。

ただ実際はそうではなくて、男はあくまでキャッチーなマクガフィンなので考慮から外した上で女生徒たちの里生活を描いた群像劇として清い心で見るべきなんですよね。

タイプ的にはアルスノトリアに近いと思う。

爆発的に面白いってわけではないんだけど、女の子の可愛さもあって良さがあったんじゃないかなあ。

いえ贔屓とかないしやましいから丁寧になったわけでもないです。

 

第13位 「シュート! Goal to the Future」(22年夏)

1話を見た時はマジでヤバい(悪い意味)アニメが始まったと思ったね。

22時からの枠だったんだけどなぜかその日の24時にもう一度1話が放送するのが面白くてつい見てしまった。ウィーアーファンタジスタ

あまりの負のオーラに導かれて公式サイトを見たらなんかカーソルにゴミがついてくるし本当に最高の気分だったね。

そのあともヤベェアニメだなあと思いながら見てたんだけど、合宿回あたりから第一義で面白くなってきて、意味不明な画面はそのままに面白さが爆発的に加速していったのはすごかった。あれが伝説の11人抜きかあ……。

ジョーやスバル、公平みたいなアクの強いキャラクターを活かしたパワー系の作劇はもちろん、園田先輩や佐原先輩周りの繊細なタッチも魅力的な作品だった。

俺は日曜22時からリリィ同士で殴り合う神聖な儀式に参加しないといけないのでリアタイはほとんどできなかったけど、薄目で見るTLに流れる「コクピットが爆発した時の公平」みたいなキャプを見るたびに「クソオオオオオオオオオオオオオオ!なんでリリィ同士で殴り合わなきゃいけねえんだよおおおおおおおおおおおおお!」と叫んでしまったよな。

 

第12位 「農民関連のスキルばっか上げてたら何故か強くなった。」(22年秋)

強くなったのは農民関連のスキルばっか上げてたからではなかっただろ。(唐突なネタバレ)

マジで変なアニメだった、22年秋は変なアニメがいっぱいあったけどその中でも群を抜いて変なアニメだった。

上記の神聖な理由で配信で見ることが多かったのだけど、あらすじに当然のように「ウロボロス編、完結!」みたいなことが書いてあって「いやこのアニメはいつからウロボロス編に入っていたんだよ」と見る前からツッコミどころが存在しているのがまずすごかった。

話の構成も独特で、ヒロインの結婚式を妨害した後に(リオっち、見てるか?)主人公の過去編をやって、そのあと当たり前のように単話エピソードが挿入されて特にそれとは関係なく次からまた本筋が進みだす、というのは普通では考えられないと思う。

アニメの積み重ねというのはたしかに説得力を出すために大切だけど、その説得力を「主人公の母親は本物だったら出会い頭に抱き着いてくるので偽物」という部分に使うのは意味不明だろ。

 

第11位 「怪人開発部の黒井津さん」(22年冬)

あんまりこういうこと言いたくないんだけどさあ……スケベ、だったよなあ……。

男の脳を女の子の体に埋め込むとドエロいということを教えてくれたウルフ・ベートくんのことを俺は忘れない。

チョコつくってるときの黒井津さんもスケベすぎる……。

黒井津さんとウルフくんがかわいいのはもちろん、怪人たちのうれしさも抜群に高くて、カノンくんが再生怪人として帰ってきたときはマジで声が出たね。

ただ帰ってくるだけじゃなくきっちり強かったのもうれしい、うれしい……。

それはそうとあのクソ鳥同僚ふたりにおっぱい当てられて喜んでるからな、マジで許せん。

EDでご当地ヒーローが紹介されるのも独特の味があってよかったな。

俺に特撮の知識がないせいで上手く拾えなかった要素がありそうなことを差し引いてもいいアニメだった。

 

面白すぎて俺のアニメにはならなかった作品10選

トップ10を発表する前に、様々な理由で「面白いんだけどハマりきれなかったなあ」という作品もご紹介……。(順不同)

「明日ちゃんのセーラー服」(22年冬)

明日さんが最強すぎる。

力なきものをただ助けるのではなく相手が自分でできるように手を貸してあげるだけなのが完全に王の所作。

ひれ伏しすぎて思わず「明日さんのセーラー服」で検索をかけてしまった。

画面のパワーが強すぎて押されてしまったのがよくなかったね。

筆者が好きなのは戸鹿野。

 

「時光代理人(22年冬)

一話ごとに状況が覆っていく、ミスリードの鬼みたいなアニメ。

写真に入って過去を改変できるという能力に対して1話で過去改変の失敗例を、2話で成功例を見せることで、3話で過去を変えられる状況に際した時にどっちを選ぶべきかという状況に緊張感を持たせつつも、その葛藤自体をひっくり返すちゃぶ台返しはお見事。

前半は本当に文句なしだったのだけど、できれば1クールアニメとしてもう少し綺麗に終わってほしかったかもしれない。

 

「薔薇王の葬列」(22年冬春)

見る地獄。

浅学につき薔薇戦争についてはよく知らなかったため歴史にネタバレされることはあまりなかったが、本当にこんなに地獄だったのか……?

誰が悪いとかではなくただただ悪くなり続ける状況に、少しだけ光が差したかと思ったらそれは更なる地獄の前振りでしかなくて。

本当に何が悪かったんだろう、俺が悪かったことにしてなんとかならん?

同時期に歴史ものとして平家物語と鎌倉殿の13人(アニメじゃないだろ)があって、それぞれ「歴史と歴史の間の空白をどう肉付けするか」という部分に腐心していたように思うのだけど、例えば「中世ヨーロッパではn世みたいな方式も含めて同じ名前の人物が多かった」”だけ”とも取れる事実を、「リチャードとバッキンガムが仲違いした」という事実とそう繋げるのか~みたいな唸りが続いたね。

苦しいこと以外に文句はないです。

 

平家物語(22年冬)

こちらも見方は薔薇王と同じような感じになったが、なまじ歴史の流れを知っているだけにこのあと破滅に向かっていくんだよな~という気持ちがずっと膿んでいた。

あまり意識したことはなかったのだけど、源平合戦というのは火種から考えると結構長いスパンでやっているためアニメ12話で描こうとすると結構なスピード感になる。

その限られたリソースの多くを日常的な描写に割きつつ、歴史的な事実は軽い説明で終わらせたりして、丁寧に積み上げた平家のみんなに対する好感度を一気に崩される絶望感があったね。

でも最後に滅ぶからといって今そこに生きている人たちの為すことすべてが無意味というわけではなくて、「最終回のストーリーは初めから決まっていたとしても 今だけはここにあるよ 君のまま光ってゆけよ」ということなんだよな、祈り。

苦しいこと以外に文句はないです。2

 

アオアシ(22年春秋)

オモロシ。

サッカーのこと全然知らなかったけどアオアシ(とシュート!とブルーロック)見たら完全にサッカー博士になった。

このアニメ本当になんもうまくいかなくて、いやうまくはいくんだけど一歩進んだところにまた壁があって、それを超えてもまた別の壁が……と続いていって。

しかも成長しているというよりはやっと周りのレベルに追いついてきたくらいのものなんだけど、それでも話が鬱屈としないのはたぶんすべてのことに理由があるからなんだよな。

突然謎の力が湧いたりはしない(なんかやたらと視野が広いのは異能力だろ、そうだな)から話においていかれることがなくて地に足の着いたストーリーが魅力。

花ちゃんもガチ萌えだけどアニメ特有のぷにぷに感がもう少しほしかったかも。

 

「BIRDIE WING -Golf Girls' Story-」(22年春)

ヴィーナスライン……ヴィーナスラァイン……。

スクライドのノリらしいけど見てなくてすまん。

正直一生賭けゴルフ編やると思ってたから学園編が始まって腰抜かした。

腕がぶっ壊れたりロケットランチャーをぶっ放したりと絵面の強さがありつつもそれに負けない力強いストーリー展開(と女女)がよかった。

ヴィペールの「クラシックカーに乗っている」情報がきっちり回収されたりとうれしさも◎だったけど、シンプルに周りが俺より楽しそうだったから一歩引いて見てたかも。

 

「ヒーラー・ガール」(22年春)

1話の段階ではあまりの宗教感にどっちに転ぶか分からない大博打みたいな感じだったけど健やかに育ちました。

シンプルに藤井かなさんが萌えすぎて俺が同級生の男子だったら絶対名前で呼べないだろうなみたいな無意味な質感があった。

俺は人が突然歌う出すと面白くなって笑い転げてしまう体質なのでそういう意味では相性がよかった(?)かも。

画角というか絵作りにも精力的で、目を引くカットがいくつもあったのもアニメーションとして徳が高かったのだけど、やはりこれもシンプルに周りが俺より楽しそうだったから一歩引いて見てたんだよな。己の性質が憎い。

 

「Engage Kiss」(22年夏)

助けてくれ恋愛脳。

シュウくんがマジでカスでキサラたむがマジで萌えでアヤノさんはマジで負けそうだったけどゴロゴロした具材の人物像のなかで記憶の扱いみたいなハッとする場面があったりバトルはシンプルに熱かったりと一口で何度もおいしいアニメだった。

中盤からは重めの展開が続き、「恋愛脳歌ってる場合じゃないだろ」と俺からの罵声声援が飛んだりもしたけれど、最後は「未解決で大団円」のサブタイどおりとしか言いようのない綺麗な着地を見せてくれてよかった。

おいオタク!全員で肩組んで恋愛脳合唱するぞ!

ちょっとエロが生々しかったのでこの位置です。(小学生垢)

 

「神クズ☆アイドル」(22年夏)

あれは……角川10話アニメ!?驚いたな、まだ生きていたのか……。

働きたくないアイドルと志半ばで亡くなったアイドルの幽霊という組み合わせに河川敷さんたちや瀬戸内くんのようなパンチのあるキャラクターを混ぜ込んでギャグみたいな場面がバンバン出てくるのになぜか出来上がっているのは繊細なストーリーみたいな謎の作品。

楽しいながらも「でもファンが見に来ているのは仁淀であってアサヒちゃんの憑依した仁淀ではないわけじゃん」という部分がずっと腹落ちしなかったのが、本人たちもそれに自覚があって、仁淀にもファンに対する気持ちが生まれて、それでもアサヒちゃんの居場所もまだここにあって、みたいな全部乗せみたいな最終話が俺は大好きでさ……。

22夏アニメ最終話丸々ライブアニメの絆。萌えガールがいたらあるいは……。

 

「Do It Yourself!! -どぅー・いっと・ゆあせるふ-」(22年秋)

OPEDと美術の強さがエグい。

DIYの話として見ている間は正直ピンと来てなかったというか、せるふさんがみんなの役に立とうと苦手な作業をしようとするところで「役に立つ/立たないの切り口はDIYから外れるのでは?」という感覚があり、実際その辺の溝は埋まらなかったのだけど、結愛せるふさんと須理出未来さんの関係を作り直す(もなにも元から壊れてはいないのだけど……)話として見るとよく出来ていたと思う。

若干タイトル詐欺っぽいのがマイナス点。

 

……

いかがでしたか?

今さらですが大雑把な区分けで言うと11~20位は好きだったライン、4~10位は好きで円盤購入も検討したライン、3位以上は実際に購入した作品です。

ではさっそく続きを見ていきましょう

 

best_animation_JP 10~4位はこれだ!

第10位 「その着せ替え人形は恋をする」(22年冬)

オタクに優しいギャルは……います!

22年冬は本作と前述の明日さんとのCloverWorksアワーが猛威を振るったことは記憶に新しいのでは。

正直なところ1話の時点ではあまり惹かれていなかったのだけれど、2話の半分を占める採寸シーンにやられてしまった。

尻の描き込みでまず笑ってしまったし、五条くんの部屋で平然と水着姿になる喜多川さんもちょっとセンシティブな部位に手が触れてしまったらドキドキするんだ……みたいな喜びがあるよな、俺がギャルに求めているものはこれです。

それでいて五条くんがとにかくいいやつなんだよな。

喜多川さんのために寝る間も惜しんでエロゲをプレイしたり衣装を縫製したりしてさ……。

五条くんは相手の好きを尊重できる人だからこそ俺は五条くんの好きも尊重されてほしくて、五条くんが特別に扱っている「綺麗」という言葉をかけられた喜多川さんも「綺麗」という言葉を特別に感じてくれるのであればそれはもうさ、始まるしかねえじゃんか、恋がよ……。

段階なんすよね、俺は二人のことが好きだから二人が好き合ってるとうれしいし幸せになってほしいみたいな……。

先に恋に落ちたのは喜多川さんだけど、五条くんにとっても喜多川さんは外の世界に連れて行ってくれる人でさ、やっぱ他の人とは違うわけでさ、外の世界も”綺麗”なんだって知り始めたのに綺麗なはずの花火も見ずに横顔を見ていたらそれはさあ!!!!!

俺ってどうしたらいいですか?

 

第9位 「ぼっち・ざ・ろっく」(22年秋)

デカァァァァァいッ説明不要!!

フォロワー数ごちうさ超え!!!PV再生数軒並み100万!!!

ぼっち・ざ・ろっく!!!今後藤の乳の話はしてねえだろがよ

いやマジでなんでこんなことになってるんでしょうか。

普段アニメ見てないのにぼざろ見てる人は絶対前期リコリコ見てたよなとか、TLに原作既読者がウヨウヨいて己の感想が確立する前に四方からボコられるので熱量の差で自分のアニメにはなりにくいよなとか、そういう邪念を含めてもこの位置に来るくらいにはいいアニメだった。

アニメの出来(これは動画等外側の要素も含みます)もよくて楽しんで見てはいたんだけど俺は長いこと喜多さんのことを許していなくて、「でもこいつは困ったらバックレるんだよな……」みたいな気持ちがずっとついて回っていたんだけど、最終話で1弦と2弦の切れた後藤さんの異常に気づけるほどちゃんと見ていたことと、そのままソロパートをカバーできるほど練習を重ねていたことを知って歴史的和解を果たしたんだよな。

犯した過ちを直視して反省して、今度こそ居場所をつくろうともがく人のことを俺は嫌いになれないからさ……。

アニメ、腑に落ちる瞬間なんすよね。

それはそうと俺は伊地知虹夏さん一本で行く。

 

第8位 「新米錬金術師の店舗経営」(22年秋)

ぷにぷにしたキャラデザからお出しされる崩した画やコミカルな動きのバランスがよくて、毎話収支報告があったりとうれしさの多いアニメではあるんだけど、一方でカジュアルに片腕が吹っ飛んで多額の借金を背負ったり盗賊は全員殺さないといけないゲッシュを持っていたりと謎のシリアスさを持ち合わせている謎のアニメ。

定期的にうんこの話をしてたのはマジでなんなんだよ。

ロレアちゃんを襲ったヘルフレイムグリズリーを殺したりロレアちゃんに抱き着かれて赤面したりと言い逃れ(なんの?)不能だと思っていたのにどうやらあれはアニオリらしくて腰抜かした。

EDを結構雑に流すアニメでもあって、正式なED映像と共にFine Daysが流れたのはなんと5回だけ(の割に毎回流しはする)。

活動を始める火山、割れる地面、暴れ出すサラマンダー、流れるED曲……。

Elder flowerじゃないとさすがに成立しないだろそんなもん。

サラサさんが今の店を続けるか父母の店を継ぐか悩んでいるときは今までの日々は嘘だったのかよ……とさめざめ泣いたりもしたけれど、サラサさんの中でも既にヨッカ村が居場所であることは疑いようがなくて、他者の気持ちを背負いすぎるサラサさんだからこその葛藤であることが分かって本当によかった。

サラサさん、本当は他人の借金なんて関わりたくもないのにアイリスさんだから助けてしまう情に厚い人なんですよね……。身内に甘いヤクザみたいだね。

OP曲はじまるウェルカムの実写CMを見すぎて大西亜玖璃さんのライブに行ったら勝手に体が動いてワロタ。

 

第7位 「ちみも」(22年夏)

モクヨル被り地獄(ちみも、よふかしのうた、それでも歩は寄せてくるのトロッコ問題を指す)のせいか視聴者が少なかったけど名作。

地獄からやってきた使者が人間界を地獄にしようとする導入からは想像できないくらい地に足が着いた話というか、どこまでも小さな話を扱っていたね。

地獄からの使者と言えど現地で継続的に活動するためには家やお金が必要だよねというところから始まって、みんな会社で、学校で、あるいは家でだって日々小さなモヤモヤを抱えていて、俺が「そういうもんだよね」で諦めているあれやこれやを、人間界をまったく知らない地獄さんが改めて地獄認定していく過程みたいなアニメだった。

「歴史に残るだけが地獄じゃなくて、生きづらい世の中でそれぞれ地獄を抱えている」というのがそのとおりで、普段は仲のいい姉妹だって大喧嘩することもあるしこれはどうやったって避けられないんですよね。

それでも同じように小さな幸せを感じることもできるわけで、そういうことを大切にしたいという祈りがあって。

地獄さんの昇進といううれしいことの裏にも別れというかなしいことがあって、でも結局また一緒に暮らせるというのはどうしようもなく祈りなんだよな。

それはそうとマルコッパのCMでぞんざいな扱いを受けるちみものインパクトがすごすぎて、夏。

 

第6位 「咲う アルスノトリア すんっ!」(22年夏)

22年夏の問題児。

あまりにも何も起こらない第1話に驚いたのも束の間、ちょこちょこ聞こえる不穏な言葉と突然お出しされる男パート。

今の生活と一向に交わらない要素を訝しみながら、でも会話の楽しさだけでずっと見ていられる心地良さがあって、まあそういうアニメが一つはあってもいいかと思っていたんだけども。

このアニメはおソシャ原作ということもあって、リリース時はCMもたくさん打っていたので”現在”ペンタグラムたちが置かれている状況というのは概ね把握しちゃってたんだよな。

だからいつかは”そう”なると分かっていて、そのいつかはアニメ本編中のどこかだと思っていて、今の幸せは薄氷の上に成り立っているんだと否応なしに意識せざるを得ない(し、アニメ本編だけ見ていてもそう思う構成になっている)のに、なぜか視聴者にはその事実が知らされない。

作中で飛んだ時間の間に絶対戦闘をしているはずなのに、描かれない。

最終話でついにその氷が踏み抜かれるかと思ったら、結局踏み抜かれない。

おソシャ誘導的な演出ですごいなと思ったのが主人公の描写で、このアニメの俺クンはおそらくゲーム開始時に選べる男性と女性の像が重なっていて特に喋ったりもしないんだけど、これはおそらくまだ俺がおソシャを始めていないからなんだよな。

お前がこれから自分の選択で何者かになってこれからの彼女たちを救ってやってくれという導線になってるんじゃないかなと。

だからこそこのアニメのラストはペンタグラムが未来の俺クンたちに語りかける形になってるんじゃないかと思うんだけど、惜しむらくはおソシャのほうがサ終したためその機会が永遠に失われてしまったんだよな。

おソシャ戦略はアニメの外側なのでプラスアルファでしかないんだけど、アニメ内で完結する話としてもIntroductionの「少女たちが送る、楽しく・賑やかな日々をお届けします!」というのが答えであって、「トリちゃん達の日々が、楽しく、愛情に満ちたものであることを願いながら、物語を書かせて頂きました」ということなんだよな。

祈りの言葉と願いの言葉の違いは……。

 

第5位 「夫婦以上、恋人未満。」(22年秋)

バカのアニメ、弱い俺はただ叫ぶことしかできない。

私を変えてくれたアニメ、私はアニメを観て興奮したとき「ぎゃおおおおおおおおおおおおおお」って叫ぶタイプなんだってことを教えてくれたアニメ……。

この世の終わりみたいな設定から繰り出されるエロと鮮やかな色彩と美術に頭がどうにかなってしまう。

いきなりキスして見たり名前呼びで一悶着あったりおそらく届かない同性への目配せがあったりとアクセルとブレーキのバランスが狂ってんだよな。

全員幸せになってほしい、俺が悪かったってことにしてなんとかならん?

セリフ回しも抜群にキレていて、「今は授業の一環でたまたま同棲している」(←???)という事実を「この夏だけのベランダからの景色」「いつかは違う匂いになるシャンプー」に変換したのはさすがに叙述トリックだろ。

最終話サブタイの「以上、恋愛未満。」のキレもすごかったけど、恋愛未満が終わったからって急にキス→結婚→出産→育児→老後と爆速でステップアップしていいわけちゃうぞ、なあ。

かけっこくらいは本気で勝負してくれるのは綾小路とマジカジャさんと渡辺星さんだけだからなマジで。

”性の一時間”のトップバッターにふさわしいスピードスターだったぜ、本当に大好きです。

 

 

第4位 「阿波連さんははかれない」(22年春)

きっとーーーーーーーーーーー(爆音)

現代設定のギャグアニメって最低限地球の物理法則は守ったりする気がするんだけど、このアニメは容赦なく箸が伸びる。

箸が転がっても面白い年頃を超えると箸が伸びても面白くなるらしい。

変なやつが多いんだけどそれ以上に主人公のライドウくんがいちばんの異常者なのでまあそんなもんかくらいの感触で済むのおかしいと思うよ俺は。

それなのに「タイトルは阿波連さんははかれないだけど実際にはかれてないのはライドウくんなんだよな」ってヘラヘラしてると、本当にはかれていなかったのは俺自身であったことに気付かされるはあまりに力のアニメ。

ギャグアニメの皮を被った正統なラブコメですこいつは。

マジでさあ!阿波連さんからキスしてさあ!大城さんが見ちゃってさあ!から丸1話大城さんが出てこないの狂ってるだろ。

俺は今まで楽しくライドウくんの視点で見てたのに、肝心の告白シーンの解像度はその場を”見てしまった”大城さんと同じレベルでしか与えられなくて、だからこそ目線が突然大城さんに切り替わってしまうのやめてほしい、苦しいから。

ライドウくんが自信満々に出てきて実は全然できないみたいなのが定番化していたから「いいやつなのは知ってるけど信用ならないよな」みたいな見方になっていて、そこでライドウくん不在の場で「キスまでしたのに付き合っていない」なんてことを知ったら俺だって「ライドウに地獄を」の顔つきになっちゃうよな。

でもそれは勘違いで、ライドウくんはむしろちゃんと「好きだ」と伝えられる人間で、阿波連さんはまた距離感を間違えて、でもライドウくんはその距離感も好きで、阿波連さんはそこではじめてさ、俺はさ……。

はかれないことに真剣なアニメだった、大好きです。(バシュン)

 

……

ここまで来たらもうトップ3は発表しなくても結果は分かっているようなものですがせっかくだからしちゃうぜ!

best_animation_JP トップ3はこれだ!

まずは第3位……

ジャカジャカジャカジャカジャカジャカジャカジャカジャカ……ジャン

 

「ルミナスウィッチーズ」(22年夏)

ヴァージニア・ロバートソンさんの人生には選択がなかったんですよね。

モフィを助けて、ナイトウィッチの力を借りて、いのりに請われるままにルミナスウィッチーズに加入してるんですよ。

全部成り行きだからそこが自分の居場所だと自信を持って言えなくて、その自信のなさが行き過ぎて正常な判断ができなくなっている。

モフィにとって「自分と本当の家族のどちらかを選べる状態」が本来のフラットな状況なのに「本当の家族を選べる状態」がフラットな状態だと勘違いしてるんですよ。

だからモフィはいつかいなくなるし、そうすると能力を失うし、ルミナスにはいられなくなる、という図式になっているんですけど。

でもルミナスにいることとモフィがいることって実は全然連動してなくて。

落ち込んだときも、楽しいときも、なんでもないときも、ジニーのそばにはみんながいて、一緒に歌を歌うと幸せな気持ちになれていたんですよね。

きっかけは偽りの能力でも積み重ねた時間だけは本物の気持ちなんですよ。

みんなと一緒に歌った歌を聞いてジニーは気づくわけですよ、同じように幸せを分かち合ってきた、今はそこにはいないモフィ(魔導針)に触れながら。

モフィはもうそこにいないけど、まだジニーを待っているルミナスをもう一度選び直すことはできるんですよね。

で、俺はジニーには選択がなかったと言ったけど実はひとつ嘘があって、「モフィを助ける(≒一緒にいる)」ことを選んだのは他でもないジニーなんすよね。

助けることが当たり前すぎて選択という実感がなかっただけで、別に見捨ててもよかったんですよ。

でもそうはしなくて、ルミナスがジニーを選んだからジニーがルミナスを選べたように、ジニーがモフィを選んだからモフィはジニーを選べたんですよ。

確かにあのときモフィには選択肢がなかったのかもしれないけど、積み重ねた時間だけは本物なんですよね……。

ラスト2話でこの反復ができるアニメは本当にすごい。

政治的購入をしたアニメのパッケージイベントに行かずに同日開催のルミナスウィッチーズのライブに行ったくらい好きなアニメ。

女性声優オタクの目にも涙。

感情的な話をするとき急に丁寧語になるオタクキモすぎる……。

 

そして第2位……

ジャカジャカジャカジャカジャカジャカジャカジャカジャカ……ジャン

 

「Extreme Hearts」(22年夏)

この作品はどこから褒めていいか分からない。

というかアニメ以外の飛び道具(ショートアニメやブログ)を分けて評価するのが不可能なので若干レギュレーション違反な感じもあるんだけど、それでも圧倒的に体験として優れていたと思う。

おそらくS×S×SもRISE BLOGも見なくても本編内だけで成立しているはずなので。

ただ俺はこの二つありきで視聴していて、強烈な視聴体験を植え付けられてしまったのでその話をします。

実は本編11話を見ているときになんで葉山さんはこんなに無理をしているんだろうと思っていて、俺は怪我を押してプレーするのが嫌いなので、もちろんこれまでの話の中でRISEとして過ごす夏にかける葉山さんの思いは描かれていたんですけど俺は気づいていなくて、だから11話を見終わった時点では本当に良かったなと思いながらもやっぱり怪我のことが気になっていたんですよ。

そして放送後にS×S×Sの11exを見たら決勝戦の前日譚が始まって、全部答えが書いてあって、葉山さんはみんなを思って迷いなく書けた曲を「優勝して、笑顔で歌いたいねぇ」ということなんだよな……。

そして勝った瞬間も葉山さんは笑っていたことを思い出して、葉山さんが泣いているのを見たことがないなと思って、突然本編に先駆けてはじまるグランドフィナーレ感。

あとは葉山さんの容体が来週どうなるか……と思っていたら12話により先にRISEのBLOGで無事が報告されて(そんなことある?)、Extreme Heartsの登場人物が俺が見ていない間でも俺と同じ時間を歩んでいてくれる実感が急に湧いてきて……。

本編の進行に合わせて更新されていくブログ(の内容とフォーム)にそんな力があるなんて考えてもいなかったんだよな。

今までも俺が画面の向こうの世界にいる感覚を味わったアニメはいくつかあったけど、画面の向こうから飛び出してくるケースもあるんだなと思った。

だから俺は最終話が放送される日はテレビの前で青色のペンライトを持っていて、そういうつもりで臨んだんだけど、そこで前回ちょっと気になった「葉山さんが泣いているのを見たことがない」という話になって、いつも笑顔の葉山さんが涙を流してしまって……。

もちろん最終話にはすべてがあって、Ex12にはすべて以上のものがあって、ブログの更新を持ってようやく人心地つけたというのも大きいんだけど、それ以上にそれぞれの媒体で点として配置されたものがすべて繋がっていく感覚が本当に気持ち良かった。

内容よりも体験を語りたくなるアニメ、この時代にアニメを観ていてよかったと思う。

 

ふう、これで残すはbest_animation_JPの発表だけだな……

(♪~)

ん……?このどこからともなく聞こえてくるドラムの音は……?

 

 

 

 

 

 

 

!?

まさかこのアニメは……

 

 

だああああああああああああああああああああ(椅子から転げ落ちる)

 

 

この子はノマ・ルーンさんと言うのか、ふーん……。

 

 

アッ!!!!!!!!!

 

 

かわいいなあ、かわいい……。

 

 

 

 

 

 

 

!?

 

 

おいどうする気だノマさんを……

 

 

!!!!!!!!!!!!!!!!

 

そんな、ノマさんがみんなの前で……

うわああああああああああああああああああああああああああああああああああ

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

おしまい。

エクハは体験分インチキ感が強いのと不徳をオチにしたかったのでこの順番ですが、

そのへんを考慮しないと逆になると思います。

あと不徳のギルドはマジでいいアニメなのでみなさんも見てください。

それでは、ここまで読んでいただき

ありがとうございました!

2020年best_animation_JP決定戦

 「あのころの未来にぼくらは立っているのかなぁ…」なんて歌ったアイドルは既に解散し、この曲が発表された当時にはまだ生まれていなかった女性声優がソロライブでカバーする程度には時が流れてしまったらしいです。

 西暦の十の位が変わるというのは人生においてそう何度も経験することではないためか、はたまた俺自身が子どものころぼんやり思い描いていた未来に足を踏み入れたせいか、ずいぶんと遠くまできてしまったというか、なんか未来すぎて怖いなという印象すらある一年でした。

 そういった心象を反映してか、2020年は時の重み・経過を感じさせる過去から繋がってきた作品や、逆に現代的な価値観を押し出す未来に繋がっていく作品が多かったような気がします。まあオタクはだいたい作品をその角度から視聴していく年間テーマみたいなのがあり、そのうちのひとつが「時間軸」だったという話ではあるんですが……。

 そこで今回は今年触れ合ったたくさんのアニメの中から、俺の人生を彩ってくれたいくつかの作品と印象的な一話について紹介というか一言感想を述べていこうと思います。概ね巷で流行っている10選と同じです。その上で2020年を代表するbest_animation_JP(best_tubuko_JPの選ぶ最高のアニメ)を選出します。

 レギュレーションは「2020/1/1以降に放送開始し2020/12/31までに放送が終了したアニメ」の一点のみ。ただし個人の趣向として、nクールアニメやn期アニメ(n≧2以上の自然数)、ショートアニメ等は選考から漏れやすい(絶対ではない)という点だけご承知おきください。

 それではさっそく見ていく前に、惜しくも選外となってしまった候補作の一覧と一言感想をどうぞ。



ARP Backstage Pass」(20年冬)

 冬アニメにおいて「力のSHOW BY ROCK!!ましゅまいれっしゅ!!、技のARP Backstage Pass」と並び称された二雄のうちの技のほう。その名の通りAR技術を駆使したライブパフォーマンスが見られるはもちろん、ARPのメンバーが自分たちの過去をドキュメンタリ―風に脚色した本アニメの声優を担当しており、Cパートでは役者本人たちの振り返りと次回予告が見られるという特徴的な構成をしており、はじめから嘘だと分かっている分建前に建前を重ねる多重構造がリアリティラインを侵食しはじめ本当にARPのメンバーが実在しているかのような錯覚を起こさせる不思議な作品。男しか出てこないのに最後まで面白くて凄かったな……。

 

好きな話数 第10話「A'LIVE」

 ほぼ過去のライブシーンの切り貼りでありともすれば手抜きとも呼ばれかねない最終話を、ARPメンバーの積み重ねてきた時間に変換し集大成と呼べる仕上がりにまとめ上げた手腕は見事、まさに技のARPの面目躍如といったところか。そしてドキュメンタリーとしてのARP結成秘話を見た後に本物のARPメンバーからの感謝のメッセージと歌、これで最高のGood-byeにならないやつはいないよ。

 

「ネコぱら」(20年冬)

 人の形をしたネコを飼う(でいいの?)という少しでも手綱を繰り違えれば一発で倫理コードに抵触しかねない電流イライラ棒のような本作だが、人よりも速い時の流れの中で疑似的に生まれる姉妹関係や確かに受け継がれていくものに対して誠実であり、主人公の善性も含め温かい気持ちで見られた。人型ネコという設定が単なるフレバーではなく、鈴の更新試験など特有の問題を織り込むことでなるほどねと思わせる手際も◎。この手のアニメには標準装備されたやたらゴテゴテしたギャグ要素もご愛嬌の良作だった。

 

好きな話数 第11話「カカオの恩返し」

 子どもは思っているよりもずっとはやく成長していて、大人はそれに気付かない。すべての心配は空回りでカカオはひとりでお泊りもできたし反抗期でもなかった。でもきっとそれでいいんですよ家族は心配する生き物なので。書いてもらった自己紹介よりも自分で書いた拙い感謝は幼ネコがちょっとだけ大人になった証拠。

 

「A3! SEASON SPRING & SUMMER、SEASON AUTUMN & WINTER」(20年春夏、秋)

 所謂分割2クールアニメ、1クールに2つの季節を入れ込んだ正当な四季アニメ。冬にはじまった本アニメが制作体制の問題が一度仕切り直しになり、春に春組、夏に向かう季節に夏組、秋に秋組、冬に向かう季節に冬組の舞台を描く形になったことで本当に四季を通した視聴体験に繋がったのは怪我の功名というやつだろうか。季節が変わり人が変わり、何度もぶつかって泣いて笑って、その季節にしか見られない花が咲くMANKAIカンパニーの舞台が俺は好きだったな。

 

好きな話数 第18話「バッドボーイ・ポートレイト」

 登場人物を魅力的に描くにあたって重要なのは背景の提示であることは言うまでもないが、突然悲しい過去をお出しされたところで視聴者は戸惑うことしかできない。一人芝居という作中の流儀に当てはめそれぞれの過去とそれが舞台への熱意に繋がっていることを提示する手法、そしてそれを一気にではなく16話から少しずつひとりひとりに焦点を当てて描き切った誠意、万里くんの後悔はひとつの季節が過ぎ去ったことを示すのには十分すぎたな……。

 

「球詠」(20年春)

 女子高生!野球!危ない作画!と俺が愛してやまない当該作品の生き別れの姉妹のような要素を持つ本アニメだが、姉とは違いだいたい野球をやっていてえらい。やけにフェティシズムを煽る描写が多く、識者による「球詠えっちな目で見ても委員会」が設立されるなどなかなか対応に苦慮するアニメではあったが、梁幽館との熱戦(や崩れがちな作画)のおかげかなんとかそちらに舵を切らずに堪えたところはあるね。俺は球詠ちゃんの作画を馬鹿にするやつと原作のほうが面白いとかいうやつを絶対に許さない。せーの、「球詠はパンツが見えないアニメ!!!」

 

好きな話数 第12話「悔いなく投げよう」

 絶対に折れないエース武田、「完全に逸らした、この私が!?」とかいう面白ワードを咄嗟に放てる自信家山崎、明らかに実態を越えて警戒されてるイキり番長岡田、いいところを全部持って行った中村、何もかもが良かったね……。

勝負事に対して俺は「努力は報われるべき」だとは思わない、負けてしまった側の努力が足りなかっただけだとは思いたくないから。それでもこの試合の結果だけは努力が実を結んだんだって思ってもいいのかなあ。

 

白猫プロジェクト ZERO CHRONICLE」(20年春)

 有名なおソシャ原作のアニメだがアニメ以外のことは何も知らない(アニメのこともよく分かってない)俺なので原作のストーリーを知らず、当然このアニメがどういう位置づけになっているのかも分からないまま見進めたため、本来受けなくてもいいような衝撃を受けたところは多分にある。ZERO CHRONICLEの意味を知ったときは世界のすべてがZERO CHRONICLEに見えたしなんなら春アニメはZERO CHRONICLEと呼んで差し支えないような終わり方をしたアニメが多かった気がする、これも色眼鏡ですか?

 

好きな話数 第7話「山菜採り」

 白と黒が協力して採った白の食材に黒の食材を合わせて食べる、二つの王国はいつか手を取り合えるという希望を示すはずのその行動は、その裏でどうしようもなく貧富の差を浮き彫りにしていたことに後になってから気付いたんだよな。白か黒かではなく個人の資質として話していたはずのあの瞬間も「地に堕ちてからものを言え」でしかなくて、持つ者と持たざる者はどこまでも対等ではないのだと思い知った。

 

「放課後ていぼう日誌」(20年夏)

 主人公が新しいことを始めて周囲の人に教わりながら成長していくというフォーマット自体は古今東西普遍的に存在するものではあるが、本作の題材である釣りだけでなく元々陽渚が持っていた手芸の趣味と道が交わることもあり、一方的に教わる関係に終始しなかったのが好印象。全体的に瑕疵がなく、しいて言えば20年夏アニメ三大悪のひとりであるさやかちゃん(残りはかのかりのアイツと宇崎ちゃんのアイツら)を抱えている点とパンツが見えるアニメである点くらいだろうか。流れる時間のおだやかさを丁寧に描けていたと思う。

 

好きな話数 れぽーと06「アジゴ

 自分でワタも取れるようになって釣りに慣れてきた陽渚だが、どうせ釣れるからと適当に選んだ竿を持って向かった釣り場は思っていたよりも遠く、荷物は思っていたよりも重い。初心者が故に丁寧に包装されていた無知が少しずつ表出していき、今まで知らず知らずのうちに誰かに助けられていたことを知っていく過程。それでも知らないことは罪ではなく、失敗から思考錯誤することも含めて楽しいと思える肯定を含めて優しいアニメだったなと思う。

 

安達としまむら(20年冬)

 いやー、マジで気持ち悪いアニメだったね……(誉め言葉)。女女のオタクから名前くらいは聞いていたのでてっきりやがて君になる的なアニメだと思ってたらどんどん安達さんが脱輪かましていくので結構驚いた。安達桜さんが美少女じゃなかったらなにひとつ許されてないよマジで。安達さんをもてあそぶしまむらもマジで最悪だったし最悪アニメーション!……なんだけど、無関心女のしまむらの中にも確かに安達の居場所があって、安達が望むふたりだけの世界はきっと幻想でしかなくって、それでも今この世界にはそれがあるんじゃないかっていう祈りを感じる作品だった。同期の虹ヶ咲はずっとふたりではいられないという現実を受け入れながらそれでも変わらないものがあるよという理想を求めたのとは対照的で、現実を受け止めてそれでも最良の結末を目指すのはどうしようもなく意志だけど、俺はそうじゃないけどそうあってほしい世界を求めたっていいと思う、それがアニメなので。

 

好きな話数 第9話「そして聖母を抱擁する愛 マリーゴールド

 明確にしまむらのなかに安達がいることを実感したエピソード。他の女とのデート中に他の女のこと考えるしまむらはかなり最悪だし比較するのもマジで最悪だと思うけど、その仕込みのおかげで安達さんが喜んでるならまあいいかなと思うよ、樽見には申し訳ないけど俺は安達桜さんの味方だからさ……。それはそうと見直してて10話の安達の「わーい!」がしまむらの「これからも仲良くしていこうね!」の具体的方向性としての「わーい!」だったことにようやく気が付いたのでアニメは何度も見たほうがいいらしいね。マジでわーい!っていうのオタクと安達だけだと思ってたけどしまむらも言うんだ……。

 

いわかける! - Sport Climbing Girls -」(20年冬)

 女子高生×ニッチスポーツ枠の一角。最初からある趣味と新しい趣味の融合も含めてフォーマット的には放課後ていぼう日誌と同一をみなすこともできるが、いや今は令和だぞと思わず突っ込みたくなるようなゴテゴテしたアクの強いキャラクターがバカみたいな頻度で登場してくるスピードのような勢いと、真剣に競技に取り組む上で避けては通れない才能や体格の差や肉体的・精神的綻びに正面から向き合い高みを目指すリードのような高邁さがあり、どう視聴していくかオタク側のオブザベ力が試される面白いアニメだった。毎度毎度ラストカットが意味不明すぎて今回はどんなものがお出しされるのか毎週楽しみにしてたよ。

 

好きな話数 第5話「努力と天賦」

 クライミングにおいて体が大きいというのは狭い場所でのバランスが取りにくいという弱点にはなるがそれはきっと努力でなんとかなるんだろう。でも体が小さくて単純に届かないという場合その人には何ができるんだろうか。苦手なこととできないことの違いに目を瞑ったまま生きてきたような気がするな、俺は……。それでも自分がそうしたいと思うことがあるなら泣き言をいう前に少しでも上を目指さないといけないんだろうな。野々華がひとりで歌う「LET’S CLIMB↑」はきっとその意志の表れのように映った。

 

「体操ザムライ」(20年冬)

 俺の好みを度外視すれば20年どころかここ数年でも一番出来の良かったアニメ。たぶん深夜じゃなくても戦える。スポーツアニメというものはTCGやらホビーアニメと違ってルールを知らないままなんとなく視聴するということはあまりなく、途中で説明が挟まったり視聴者がなんとなく察したりすることで競技自体を理解する段階が挟まるはずだが、本作において体操の説明は最低限にとどまっており俺は未だに体操がどういう競技なのかもよく分かっていない(なんで4つもやるの?1つに絞ればいいじゃん)のだが、それでも実況や解説、ライバルたちの反応や映像を見ることで凄いことをやっているというのが分かる、1クールアニメならではの取捨選択の巧さが光る作品だった。

 

好きな話数 #11「体操ザムライ」

 色々言うべきなんだけどそういうのは俺よりも体操ザムライを真剣に見ていた人に任せるとして、「荒垣家」という関係性が血縁どころか種族の壁を越えて形成されていたこと、そして城太郎が家族ではなく体操選手として背中を押す存在であったのがすごいね。4回転に意識を振ることで屈伸荒垣の存在を現地にいた人間と視聴者に隠し通したのも、ほとんど深堀りされずなんとなく察するしかなかった鉄男の城太郎に対する憧れをきっちり描いたのもとても正しい、これじゃ体操ザムライじゃなく正当ザムライだよ……。

 

「NOBLESSE」

 その力、絶大。でおなじみの本作。ライジェル(通称ライ様)が出てくるとまあほぼ解決しちゃうので到着までに時間を稼ぐ戦闘描写はめちゃめちゃ面白いドラゴンボールみたいな気持ちもなくはないが、NOBLESSE、貴族、人間、改造人間と異なる立場や価値観を持つはずの彼らが守るべき、帰るべき場所を獲得していく過程が本当に心地良かった。緩急の付け方も巧く、どうやってるのかは分からないがCパでギャグをやっていいときはギャグ、ダメなところはシリアスと使い分けつつも、いや本来はダメっぽくない?というタイミングでもいい意味で気の抜けるような不快にならないギャグを入れてくれるのが絶大だった。

 

好きな話数 #13「ノブレス/Take Her Hand」

 一度焼き払ったスーツを再生した上で素知らぬ顔で間に合った感を出してくるライ様、萌え……。戦闘スタイルは完全にライ様がラスボスというか悪役側の貫禄だったしなんなら負けイベかな?くらいの力の差はあったが、直接教えるのではなく若い世代に考え行動させる手腕はNOBLESSEの名にふさわしい高貴さがあった。ライ様が人間を好ましく思うのは弱者を愛する貴族の嗜みではなく個では弱くとも世代を超え変わっていける人間の強さを好ましく思う先代ロードの遺志を踏襲したものであることもうれしかったな。全体的にうれしいアニメだった。



 以上、惜しくも選外となったアニメたちの総評でした。残念ながらすべてのアニメを同等の深度で見ることはできないため解像度にバラつきはありますが、いずれも俺が楽しく視聴したアニメであることは間違いないです。

 

 さて前置きが長くなりましたが(マジで長い)、そろそろ本題に入っていきましょう。

これが俺の選ぶ、2020年アニメ7選だ!!!

 

 ……10じゃないのって?はい。

俺にとって2020年はね、漢字一文字にすると「虹」だったんです。光は交わることなく己の色を保ちながらもとなりにいることで虹となる。そういった気持ちを形にすべく、今年はベスト7、7選という形をとっています。まあ厳密には虹はもう七色じゃ足りないんですがそれは俺じゃなく各々が足していくべき色なので……。また便宜上それぞれのアニメには順位がついています。本来アニメには上も下もないんですが、それでも絞りだすようにつけた順位があとから見てなにかしらの意味を持つかもしれないので……。

 

 それではまずノミネート作品から見ていきます。



No.1 SHOW BY ROCK!!ましゅまいれっしゅ!!」(20年冬)

 冬アニメにおいて「力のSHOW BY ROCK!!ましゅまいれっしゅ!!、技のARP Backstage Pass」と並び称された二雄のうちの力のほう。この両作品が並び称される理由のひとつとして、時間軸の使い方が挙げられる。これは感覚の話で申し訳ないのだが、Mashumairesh!!の主観としての現在はおそらくアニメの時系列よりもずっと先に設定されており、そこから振り返るように物語の始点と終点を選んで時間を切り取っているように映る。というのも、たとえば作中ではエールアンドレスポンスはまだCD化されておらず、キミのラプソディーなどは跡形もない。にもかかわらずこの曲が存在するということは、アニメの先にも彼女たちの時間は続いているということに他ならない。ARP BackstagePassが”現在”のARPメンバーが”過去”の自分たちを演じるという体を取っているように、SHOW BY ROCK!!ましゅまいれっしゅ!!もMashumairesh!!メンバーが”現在”と”過去”が分離しているのではないか。これは過去から見た過去、いわば大過去が徹底的に排除されていることからも言えることで、作中ではマシマヒメコが心に傷を追った理由は語られないしエールアンドレスポンスは最初からある、デルミンが一族を追い出された経緯も分からずルフユとの出会いも描かれない。ただ彼女たちが出会ってMashumairesh!!になるまでの過程だけを切り取ってアニメとして描いているからこそ、第12話のサブタイトルはSHOW BY ROCK!!シリーズとしては異例とも言える曲名とは関係のない「Mashumairesh!!」であり、観客(視聴者)に向けた最後の挨拶は「うちたち、Mashumairesh!!でした!」なのである。……とこれではましゅまいれっしゅ!!とARPの対比であってましゅまいれっしゅ!!の評価ではない?了解!

 

好きな話数 第10話「プラットホーム」

 ほわんさん凱旋回。1話以来のえいやっと村であるがあの頃とは違うことがたくさんあるよというのが本話の見所。1話では野菜を収穫しながら鼻唄を歌うときも「なにかいいことありそ!」とオーロラを見上げたときもほわんはひとりで、MIDICITYについたら食べようと思っていたみそむすびはぺしゃんこになっていた。その後ほわんは仲間と出会い、自身にとってのスタートラインに帰ってきて、マシマヒメコと一緒にオーロラを見上げ、ほわんの鼻唄をメロディーに利用した曲を作り、みんなでみそむすびを食べながらUNZに戻っていく。以前と行動が変わったわけではなくあくまで隣に誰かがいるだけ、でもそれだけのことが俺にとってはとてもうれしいことなんだよな。だって「これは、誰にでも起こるとてもありふれた私達だけの物語」なのだから。

 

No.2 「神之塔」(20年春)

 都での流行り病によるアニメの延期さえなければこのクールでアニメの歴史は完結していたと(俺に)言わしめた20年春からはこのアニメを選出。春アニメのトップバッターとして放送した1話ではまあまあな酷評を受けていた本作だが、2話から急激に面白くなり始めた物語(神の水に適合しただけかもしれない)だけでなく急激に萌え萌えになりはじめるワニさん(なぜか小さくなる、萌え)、ワニさんだけで慢心せずに追加される爬虫類仲間のトカゲちゃん(なぜか排出腔が丸見えになる、萌え)、頻繁にヒールをへし折られるも絶対にヒールを止めないおしゃれ番長エンドロシさん、小物っぽいのに最後まで有能だったシビス、悩める中間管理職レロ・ロー、にぎやかし担当槍レボリューションなど魅力的なキャラクターがたくさん出てきてとにかく楽しいアニメだった。主人公の夜は謎が多いのが仕事でもあり、どうしても描写が不足するというかそもそも描いちゃダメでしょという部分が多かったものの、それ以外の部分で余りあるというか夜の人間性や背景があまり分からなくてもクンとラーク、エンドロシとアナクのぶつかり合いやそれでいて認め合っている感じが心地良かったり、それぞれ十分(?)深い家庭の事情をかかえていたりして、ある意味夜のよく分かんねー感が清涼剤だったのかもしれないな。俺はなんだかんだアナクちゃんがアナクちゃんじゃなかった話がいちばん好きなんだけど……。あと全然出てきてないけどホーさんはマジでかなしかったよ、本当に俺たち手を取り合えなかったのかなあ……。

 

好きな話数 第十三話「神之塔」

 第六話と悩んだけどこちらを選択。神之塔での試練は選別者同士の競争であり甘いものではないということは分かっていたはずで、あまり描かれなかったものの裏では死者も大量にでているんだろうなということは分かって、それでもみんながあまりに楽しそうに過ごしているものだから俺は完全に信じ切っていたんだよな、世界と人の善性を。そんな「なんだかんだでうまくいく」という楽観はホーさんの件で断ち切ったはずなのに、ラヘルが夜を突き落としたときやっぱり「なんで?」と思ったんだよ。そんなはずないのに初めて悪意に触れたかのような気持ちになったこの話は、塔の下、スタートラインまで戻された夜にかけられる「ようこそ神之塔へ」の一言とともにやっぱり強く記憶に残っているし、ただでさえ最終話のサブタイトルがメインタイトルというだけで強いのに、それが今までは本当の意味で神之塔を登ってはいなかったという意味が含まれていたのが視聴体験的にヤバすぎてヤバ~しか言えなくなった、ヤバ之塔。あの状態で暗転してエンドロールなんか流されたら放心するしかない、映画見たあとかよ。大事な最終話の尺をほぼすべてラヘルの悪意の描写に費やした大胆さもすごいが……。

 

No.3 「異常生物見聞録」(20年夏)

 激戦の20年夏、第三の男こと「異常生物見聞録」(第三から紹介するんだ)(五十音順だからね)である。このアニメのすごいところはなんといってもあらすじ。一通り目を通してもらえば分かると思うが、なんとこのアニメはあらすじを読むだけで今まで何をやってきたのかが分かるのである。普通はもうちょっとあらすじ文に匂わせが発生して後半の展開が分からないとか、あらすじでは書き切れないほどストーリーが展開して半ば不可抗力で追い切れなくなるというのが常であるが、マジでこのアニメはあらすじに書かれた程度のことしかやっていない。いや厳密にいうと他にもやってはいるのだが、大部分がキャラとキャラのコミカルなやりとりに終始していて、でも実際はそこが本作の核となる部分なんだと思う。種族の異なる存在がくだらないやりとりで怒ったり笑ったりして少しずつ仲を深めて家族になっていく、その過程が本当にうれしいぜ。自己紹介なのか分からんけど「好」と書かれた謎Tシャツを着てるマジの善人好人くんも憎まれ口を叩きながらなんだかんだ莉莉に甘いヴィヴィアンもどう考えても犬だと思ってたらやっぱり犬だった莉莉も(全然まさかではなかったよ)いい人になりなさいと武力で脅迫するイザックスさんもCパートで擦られ続ける五月もまったく能力は高くない魔狩人の三八もマジで全員LOVE……。特にイザックスさんのエピソードは、てっきり俺がサブタイだけ見て好人くんのお母さんが好人くんにそう教えたから彼は善人なのであってその回想がくるのかな~なんて思ってたらアレだからね、あまりにいいアニメ。SDキャラによる次回予告や中国語講座が毎回あるのもうれしすぎるし、20年夏は他の二つが図抜けていただけに肩肘張らずに見られるうれしいがたくさん詰まったこのアニメが本当に好き。

 

好きな話数 #2「神様が雇い主」

私が貧乏なのは宇宙の意思ですわ

 

No.4 「魔王学院の不適合者 ~史上最強の魔王の始祖、転生して子孫たちの学校へ通う~(20年夏)

 激戦の20年夏、表の王こと「魔王学院の不適合者」が堂々のノミネート。まず単純に主人公が強いと……うれしい!お兄様もそうだけど強すぎるとどうなるんだみたいなハラハラ感はなくなってどう力業で解決するんだみたいな視点になるし、だいたい突拍子もないことになって笑ってしまうみたいなことが多かった、人間強すぎる存在を前にすると笑うしかない。更に言うと主人公が人格者だと……うれしい!みたいな感情もあって、昨今では前者を満たす作品はあっても後者がちょっとな~みたいな部分があったところにやってきたアノス様を好きにならぬものはいなかった。家族を大切にしている点も大幅加点。ただアノス様は善人とかお人好しではなくあくまで人格者というのがバランスとして優れていて、相手が助けを求めない限り積極的に首を突っ込んだりはしないし歯向かうやつはきっちりお仕置きする(殺すときは殺すけどあんまり殺さないあたりも人格者)のがストレスフリーで◎。ネクロン姉妹のようなアノスの良さが分かる萌え女はもちろん、ファンユニオンのような”そういう”関係ではないシンパも配置しつつ、力量的にも前世的にも配下っぽさあるなと思ってたけどどんどん友達になれそう感を増していくレイくんやどれだけ力を見せつけられても絶対に因縁をつけ続ける魔族たちも含めてやはりバランスが優れているアニメなんだよな……。あと台詞が絶妙に真似したくなるラインで大変良い。アノス様の「~したくらいで~とでも思ったか?」構文は鉄板だけど「サーシャはアノスのこと、好き?」「バカなの!?」、「山が吹き飛んだわ!」「川も枯れた……」みたいなネクロン姉妹の掛け合いもめちゃめちゃ好き。それはそうと友達のキスってなんですか?

 

好きな話数 第4話「十五の誕生日」

 「正解不正解」歌:アノス・ヴォルディゴードってなんですか?いやでもアノス様なら頼んだら普通に歌ってくれそうな感じあるんだよな、頼んだらビッグカメラのナレーションもやってくれるし……。どちらかしか生き残れないという前提のもとでするアノス様への願いが「サーシャと仲直りがしたい」と「根源の融合魔法を発動してもらう」というお互いに生きてほしいという思いに起因するものだったのがあまりに美しい姉妹愛なんだけど、ミーシャは自分の運命を受け入れてているけどサーシャはミーシャが消える運命をぶち壊そうとして、それでもアノス様ならその先の前提ごとぶっ飛ばしてくれるんじゃねーの?みたいな段階を経た期待があるのがめちゃめちゃ気持ちいい。「何を言う、本当の奇跡はここからだ」の盛り上がり方がヤバいもんな、「俺の答えは、”両方救う”だ」を待ってなかったやつはおらん。いやでもアノス様が強いのは知ってるしアニメ的になんとかしてくれそうだな~みたいなことは当然思ってたんだけどでもまだこの段階では魔王の始祖がどれくらい強いか分からんしな~みたいなふわついた気持ちがあって、アノスが刺されたときももしかしてちょっとヤバい?みたいな不安があったんだけど、それを一掃する「殺したくらいで俺が死ぬとでも思ったか?」の一言とハミダシモノイントロから確定演出、こんなん「俺が魔王、アノス・ヴォルディゴードだ」って言われたらはいそうですとしか言えなくなっちゃうよ……。本来ふたり揃っては救われるはずのなかったネクロン姉妹が笑いあってるだけでも爆加点なのに、今後なにがあってもアノス様がなんとかしてくれることを確信できる力の示し方をしてくれた4話がやっぱり一番好きだな~。それはそうと友達のキスってなんですか?



No.5 「Lapis Re:LiGHTs」(20年夏)

 激戦の20年夏、裏の王こと「Lapis Re:LiGHTs」は魔王学院とは反対に今までのアニメがやってこなかったことをすべてまとめたアニメのような感覚がある。正直このアニメは1クールを通して無駄が存在しないので一部だけを切り取ってお話しするのが不可能だなという感覚があるのでどこが良かったというのは申し上げにくいのだが、ゴテゴテしたキャラ設定を引っ提げた色とりどりの女たちが定期的に女女したり白目を剥いたりしながら進んでいく大変大味な作品の体を取りながら、その実ひどく繊細でかつ現代の価値観に即した内容であり、歴史や伝統を重んじる2020年に時の重みを求めたn期目の他アニメ(今回は選出から漏れたがストライクウィッチーズ ROAD to BERLIN等)とは逆に、世界の広がりや個人主義を題材にしつつそういうもんだよねという諦めではなくそれでもという希望のタッチで描き切ったのが本当にうまい。病弱の王族であり外の世界をあまり知らない主人公のティアラが王城を飛び出してフローラ女学院に飛び込み、仲間との生活を通しながら成長していく……とだけ書くとよくあるフォーマットのような気がするのだが、なんというか彼女たちはこう……ちょっと度を超えて失敗するのだ。普通だったらうまくいきそうなところでも失敗する、うまくいったかと思えば落とし穴がある、そんなことを繰り返していたら作中最大の(ともすれば最終話で解決して終わるタイプの)目的と思われた「退学回避」ですら失敗し、本当に学院の外に追い出されてしまう。それでも彼女たちは箱庭の外に出たことで別に学院をやめても死なないことや学院という共通の所属を失っても一緒にいたいと思えることを知るわけで、ここでひとつ世界が広がっていく。「自分たちにはできるはずのないオルケストラをやろうと思って実現する」までの広がりを第一段階とすると、本来はここまでしか求められていなかったものの先に進んだ感覚が確かにあって、久々に残りの話数なにをやるんだろうなんてワクワクした気持ちになったね、最終話がどうなるんだ……!みたいな祈りはよくあるけどさ。

 

好きな話数 第12話「Specificity ornament」

 第一の広がりである第7話と迷ったけどこちら。とはいえ12話は結実の部分なのでそれまでの話を含めないわけにもいかず……。本作品で人類の敵となる魔獣という存在ははじめから提示されており、ただあまり作品に絡んでこないことから世界設定というかまあフレーバーなんだろうなくらいに思っていたわけだけど、実際ティアラたちが一歩学院の外に出るとそこには確かに被害があって、平和な生活の象徴であった学院がその最終防衛ラインだったというのを知ったのが第三の広がり。これのうまい点が、単にアニメ側がそれを視聴者に説明してこなかったのではなく、ティアラたちが魔獣を意識していなかった、登場人物が知り得ないことだから視聴者も知り得なかったという構図で、彼女たちの世界が広がるのと俺の世界が広がるのがほぼイコールになっていたのが気持ちいいとともにはちゃめちゃな納得感があった。そして強大な敵といざ戦うとなったとき、自分たちにできることはなにか考えてやっぱりやめとこうよ他のできる誰かがやってくれるよという話も当然のようにあって、「自分ができないことは他の誰かができればいいし、他の誰かができないことは私ができればいい」というひどく冷めた現代的な分業を軸としつつ、「でもできなくてもやるだけやってみない?私も一緒にやってみるよ」という着地に落ち着くのがよくて、今まで失敗し続けてきたLiGHTsの姿を見てきた俺は本当に失敗してもいいんだよなという気持ちになるわけで。そうして重ねてきた積み木の天辺にある「だって私は、お姉ちゃんとは違うんだから」という見ようによっては諦めにも近い言葉がこの作品の本質だと思うんだよな。「確かに私はあなたより劣るかもしれないけどあなたにできなくても私にできることがあるかもしれないし、周りにいる人たちも違う(これがエリザが孤独であったことを指さない、エリザにも仲間がいたことを肯定してるのが本当にうまい)のでうまくいくかは分からないけど違う結果にはなるんじゃないかな」という約束されてはいない未来へ希望を歌う形で物語を締めるなんてなかなかできることじゃないよ。あとシャノワールの裏で兵士くんが死んだときめちゃめちゃビビったしAパのラストでティアラちゃんがティアラさんに精神吸われたときもマジでビビった、なんならそんな状態でオタクムーブしてるラトゥーラちゃんにキレてたし色々感情の変動がすごい回だったな~。



No.6 「アサルトリリィ BOUQUET」(20年秋)

 未曽有の大豊作によりアニメ市場相場に大きな変動を与えた20年秋で最もbest_tubuko_JPポイントが高かったアニメ。率直に申し上げて始めは味付けの濃い女女アニメだと思っていて(流れるEdel Lilieのサビ)、楓・J・ヌーベルとかいう面白女の挙動を見るために見てた部分が割とあった。けど実際は各話に仕込まれた感情の機微が何度も何度も押し寄せてきて、あのときはこうだったけど今は……みたいな対比がめちゃめちゃ行き届いていて見れば見るほど面白くなっていった。特に俺は舞台を先に見ていたので白井夢結に対して「メンタル弱すぎワロタ」くらいの気持ちを持っていて、実際アニメ中でも3話、6話、11話と繰り返し発狂するこの女に介護疲れみたいなものを感じていた節も若干あったんだけど、これは同じことを繰り返しているわけじゃなく発狂するたびに対症療法的にその問題は解決しているけど別のスイッチが押されることで同じような状況になってしまうっていうことでしかなかったんだよな。ヒュージに刺さった大量のCHARMは仲間の死を、ダインスレイフは美鈴自身を惹起させて、段階を経て解消したもののその方法が梨璃が夢結を「刺してでも止める」という本来守り合うべき姉妹としては正しくない終着だった、ということに気付くまではマジで何回同じ話を擦んねんみたいな気持ちもあったけど、まあPTSDとは根気強く向き合っていかないといけないからね……。全体的にハイレベルではあったけどやっぱり結梨については賛否あるというか賛はないかな、人が死ぬと悲しいので……あくまで自分の中で落としどころを見つけられたかという話なんだけど、結梨が亡くなったあとも夢結が梨璃の匂いをかいでみたり一柳隊がレアスキルを組み合わせてみたり、縮地で海を走ってみたり結梨が欲しがった髪飾りだったり、髪飾りの捜索を手伝ってくれた学院のみんなもそうだけど結梨が生きていた証がそこかしこに残っていて、それだけは本当に良かったなと思ってるよ俺は。白井夢結の話をあんまり書かなくて……えらい!

 

好きな話数 第12話「ブーケ」

 最終話ばっかり選びすぎ、それはそう。いやでもAパとBパで別々のうれしさを感じられる本当に素晴らしい回だったので許してほしい。正直俺は夢結の復活に丸々1話使うんじゃないかなと思っていて、まあそれは11話を見て俺が解決したと思っていた問題は解決してなかったんだということに気付いたからなんだけど、でも実際問題はほとんど解決していて解決してないと思っていたのは夢結のほうなんだよねっていうね。だから夢結はすぐに立ち上がるしルナティックトランサーを制御した夢結が梨璃を守ってその夢結を守るために梨璃が飛び出してCHARMを合わせたタイミングでカリスマが発動し結界が中和されるのがあまりに美しい流れだぜ、姉妹が正しい形になったということなので。そして「きっとみんながやっつける方法を見つけてくれる」と信じた梨璃に応えるように動き出す一柳隊の仲間と流れ出す挿入歌、ヒュージがマギスフィアをパスカットしてくる愉快さと若干の焦り、当たり前のように飛び出す梨璃と後を追う夢結、学院全体に広がるノインヴェルト、そしてふたりのフィニッシュショット、ウオ~~~~~!一連の流れが本当に気持ちよくて、梨璃のいう「みんな」が外側へ広がっていく感覚もそうだけど今まで散々ネタにされていた毎回の名前表示が「確かに今その人がそこで自分の意志に基づいて戦っている」という証明になっているのがキマりすぎてて、そこにマギを吸い過ぎているマギスフィアを梨璃ひとりでは支えられないとみて夢結が弾く→天葉ひとりではこぼしそうなところを樟美が押さえる→ひとりで受け取った依奈のCHARMがぶっ壊れるとどんどん規模がデカくなってるのが分かるのがマジですごい、他のネームドも出番は一瞬で一画面に複数人出てくるけどあれはあの一瞬をあの人数で支えてるってことで、だからこそラストパスを一柳隊7人でやる意味がさ、俺はさ……。あと「お姉さま私のことそんな風に思ってたんですか!?」がマジで好き、今までずっと自分を責めるだけだった夢結が他人のわるいところ(わるいとは思っていない)ところをちゃんと言えて、言えるということは認めるということで、「私の言うことなんていつも聞かない」ところも「自分より他人のことに一生懸命」ところも梨璃だと認められた今だからこそカリスマの影響に怯える必要もないんですよね、だってそれも梨璃なので。と、本来ここまでやってくれれば大満足だったのにも関わらずなんとまだ尺が半分残っていて、これまでは「百合ヶ丘女学院のリリィとして身だしなみを整えながら自分の意志で行動する」というガワの話をしてきたところ、学年の壁を越えて制服というシンボルを脱ぎ捨てた入浴での場面転換を挟んだ後で夢結と梨璃の内面の話をしてくれて本当にうれしかったぜ。お互いに制服のタイを外して裸になるのは文字通りお互いに胸襟を開いて建前や属性を捨てるということで、姉や妹のような立場を捨てた梨璃が夢結にかける「でも私、どうしても分からないんです」「好きなら好きで、それでいいと思うんですよね」という言葉は、ずっと同じ姉妹としての立場から美鈴の気持ちに対して「分かります」「分からないけど分かります」と言ってきた梨璃がはじめて自分として好きなら好きでいいじゃんって言ってるわけで。もし夢結が美鈴とフラットな関係になったとき美鈴もそう言ってくれるんじゃないかという希望もありつつ、夢結が梨璃のことを好きだと言ってもいいという赦しでもあるんだよな。これまで夢結が美鈴を忘れること、過去にしてしまうことを恐れて抵抗してきたことを考えると、過去と今のふたつの髪飾りを大切にする梨璃がかけてくれたこの言葉が夢結にとってどれだけ救いになるんだろうかと考えてしまうよ。なんかデッカいことをやって終わりでもいいけど最終話が魂の救済に使われるアニメは……名作!なんかここだけ記載が多すぎだろまあしょうがないよね最近のアニメほど記憶に残りがちなので、あと俺は白井夢結が好きなので……。



No.7 ラブライブ!虹ヶ咲学園スクールアイドル同好会(20年秋)

 遡ること一年前、女性声優がいるという理由で適当に参加した1stライブであまりにあくどい資本主義構造や女性声優の悲鳴(主に対立を煽るオタクへの)を見せつけられ、キレ散らかした結果インフルエンザを患い心ないオタクに「メンヘラを拗らせた」とまで揶揄された因縁の相手がアニメになって帰ってきた。ラブライブシリーズは実は無印を3話くらいまで見てやめた(単純に見逃したのとEDのCGが不気味の谷に入ってしまった)くらいでほぼノータッチだったところ、俺を挑発するかのように現れたこいつを見てリベンジマッチだ下手なもん見せたら二度と許さねえからなと思い見始めた本作品、粗を探してやるくらいの気持ちで見始めたのに全部が綺麗で驚いちゃったね、やっぱデカい資本はすげえよ資本主義最高!主人公の属性がマネージャーっぽいところもあり稀代の名作音楽少女の再来かと噂された本作だがステージに上がる以外の夢を自分で見つけられたのは本当によかったね、みんなの夢を叶える場所(スクールアイドルフェスティバル)はさすがにアイドルの一片(シャイニング・ピース)じゃないかと思うけど……。元のラ!を知らないので対比とか変遷という形では捉えられなかったけど、ラ虹は20年アニメにふさわしく個として存在し並びあうことで虹になる系アニメーションで、ユニットを組んで群としてみんなで協力しがちなアイドルアニメにおいて、ソロアイドルとして自分のやりたい方向に進みつつたまには競争になることもあるけどそれでも手を取り合えるというスタンスはすごくよかった。同季のあだしまが「人間はふたりでは生きていけない」という事実と立ち向かう”祈り”のアニメであるとしたら、ラ虹は「人間は個として生きるとき競争が発生する」という社会的生物としての純然とした事実は受け止めつつ、「それでも」という理想に向かう気持ちを描いた”願い”のアニメだったなと思う。ニュアンスで話しすぎ?はい。まあ正直なところラピライと順番が逆だったらもうちょっと刺さったかもしれないけど逆だったら文脈が読めたか分かんないな~みたいな気持ちがあり、アニメ視聴むつかしいね。このアニメめちゃめちゃ綺麗でお金のあるラピライじゃない?違う?あと単純に毎回かすみんがかわいくてよかったね、こんなとこ中須には見せられないな……。

 

好きな話数 第7話「ハルカカナタ」

 彼方ちゃんがただ眠たいだけのやつじゃなかったの結構びっくりしたよね。この話が始まった時点で察しのいい(そして心ない)視聴者は「いや分担しろや」と思ったような気はするけど、たったそれだけのことが本人たちには分からないなんてことはよくある話で、頑張り屋さんなお姉ちゃんの彼方ちゃんは妹の前で弱みを見せたくなくて隠しているなんてのもまあよくある話なんだけど、視聴者にとっては当たり前になっていた彼方ちゃんのお昼寝を一番近いはずの家族が知らなかったという事実はそれだけでふたりがすれ違っていることの理由としては充分だし、遥がスクールアイドルをやめて家事を手伝うと言い出したときも遥が知らないスクールアイドルとしての彼方を見せることでライバル心を煽るという手法は「仲間だけどライバル、ライバルだけど仲間」という本作のコンセプトに合っていてよかった。スクールアイドルを辞める理由も復帰する理由も「自分の知らなかったことを知る」ことに起因していて、「遥がスクールアイドルである」という事実は最初からなにも変わっていないのに、絡まったコードが少しずつほどけて正しい状態に戻っていくようなうれしさもあったね。家事は急にはうまくならない(ところまで描いたのもえらい)し彼方ちゃんの負担はあまり減らないどころか教える分増えるかもしれなくてたぶんこれからもお昼寝は続くんだろうけど、きっといつかお昼寝しなくてもいい日がくるといいねと優しい顔で微笑んでいるよ俺は。



以上7作品が2020年best_animation_JPノミネートとなります。

 

ここまででだいぶ字数が嵩み疲れ切っているのでさっそく結果発表に移りましょう。

まずは第3位……

 

SHOW BY ROCK!!ましゅまいれっしゅ!!」!

 

審査員(俺)によるとマシマヒメコの「バンドって、なんかヤバいね!」加点が大きかったようです。俺は本来救われるはずのない誰かが誰かと運命的な出会いを果たし救われるのが……好き!あの日言えなかった言葉が出てくる瞬間が……好き!

あと女性声優が楽器弾くタイプのライブしてくれる恩義もある(本音)。

 

続いて第2位……

 

「アサルトリリィ BOUQUET」!!

 

審査員(俺)によると白井夢結の「なのに、梨璃は私の言うことなんていつも聞かなくて!」加点が大きかったようです。俺は本来救われるはずのない誰かが誰かと運命的な出会いを果たし救われるのが……好き!あの日言えなかった言葉が出てくる瞬間が……好き!2

あと女性声優が武器持って歌ったり踊ったりするタイプの舞台してくれる恩義もある(本音)

 

そして栄えある2020年best_animation_JPに選ばれたのは……

 

「Lapis Re:LiGHTs」!!!

 

最終話放送後10時間に渡って感想戦を続けたあと極度の脱力によりその後の連休をなにもすることなく過ごした記憶が視聴体験としては圧巻だったか。

また女性声優に対する恩義もなしにただアニメの力だけで殴ってくるその強さが最後に勝敗を分けたと言えるでしょう。

 

それでは最後に結果をまとめて見てみましょう。

2020年best_animation_JP結果一覧

第1位 「Lapis Re:LiGHTs」

第2位 「アサルトリリィ BOUQUET」

第3位 「SHOW BY ROCK!!ましゅまいれっしゅ!!」

候補作  「神之塔」

候補作  「異常生物見聞録」

候補作  「魔王学院の不適合者 ~史上最強の魔王の始祖、転生して子孫たちの学校へ通う~

候補作  「ラブライブ!虹ヶ咲学園スクールアイドル同好会

選外   「ARP BackstagePass」

選外   「ネコぱら」

選外   「A3! SEASON SPRING & SUMMER、SEASON AUTUMN & WINTER」

選外   「球詠」

選外   「白猫プロジェクト ZERO CHRONICLE」

選外   「放課後ていぼう日誌」

選外   「安達としまむら

選外   「いわかける! - Sport Climbing Girls -」

選外   「体操ザムライ」

選外   「NOBLESSE」

 

 それではみなさま、2020年を戦い抜いたアニメたちに今一度大きな拍手をお願いいたします。もう一度申し上げますが、今回は便宜上順位をつけましたがそれは俺の好みであり作品の良し悪しではありません。いいわるいではなくそのアニメはそのアニメだと言える強さを俺たちは20年アニメに教えてもらったはずです。

 それでは2021年もより多くのアニメと出会えることを祈りまして、2020年best_animation_JPを受賞した「Lapis Re:LiGHTs」よりこちらの言葉を借りまして閉会の言葉とさせていただきます。

 

「だってこのアニメは、他のアニメとは違うんだから」




 

 

 

・おまけ

……

みんなもう寝静まったかな?

それじゃあやっていくぜ今回の裏テーマ、「best_voiceactress_JP」決定戦を……。

いやあくまで20年アニメの記録を自分なりにまとめておくのが目的だったので大まかな目標は果たしているんですが、途中で女性声優の話題に撚れた以上この辺も書いといたほうがよくない?よくない、そっか……。

まあでも好きな女性声優が好きなアニメに出るって意外となくて、好きなアニメベースが考えたらこの人に恩義を感じていたね~みたいなのがあり、そういうのも一応記録に残しておいたほうがよくない?よくない、そっか……。

うるせ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~!

それじゃさっそく発表します、栄えある2020年best_voiceactress_JPは……

 

best_animation_JP部門にて

2位「アサルトリリィ BOUQUET」より 白井夢結役

3位「SHOW BY ROCK!!ましゅまいれっしゅ!!」より マシマヒメコ役

候補作「魔王学院の不適合者 ~史上最強の魔王の始祖、転生して子孫たちの学校へ通う~」より サーシャ・ネクロン役

候補作「異常生物見聞録」より ヴィヴィアン役

グランドスラムを達成したこの女(女性声優をこの女とか呼ばないほうがいいですよ)~~~~~~~~~~

 

「夏吉ゆうこ」さん

 

に決定です!おめでとうございます!

いやマジで好きなアニメの好きな女押さえられたらマジで逆らえん、マジで。

俺と白井夢結を解放してくれ頼む。

 

本当におわり